本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。「会社は三つあります」——中小企業の相談では珍しくない話です。本業の会社、不動産を持つ会社、新規事業で作った会社。あるいは、税務上の理由で分けた会社。こうした案件は、どこまでを譲渡の対象にするのかを決めるところから始まり、その決定が価格にもスキームにも日程にも波及します。本稿では、複数社を保有するオーナーの案件をどう整理し、どう進めるかを書きます。
なぜ会社が増えたのか|典型的な経緯を押さえる
整理の出発点は、会社が増えた経緯を理解することです。理由が分かれば、どれを残し、どれを譲るべきかの手がかりになります。典型的な経緯を挙げます。
- 事業ごとに分けた:リスクの遮断、管理の明確化、許認可の都合
- 不動産を別会社にした:本業と資産を分けて保有する
- 取引先の要請:別法人での取引を求められた
- 新規事業の受け皿:失敗しても本体に影響が及ばないようにした
- 承継や税務の検討の一環:持株会社化や資産の移転を意図した
- 買収した会社をそのまま保有:過去に取得した会社を統合せずに残している
この聞き取りで、オーナーが「残したいもの」と「手放してよいもの」の輪郭も見えてきます。不動産会社を残して家賃収入を得たい、本業だけを承継してもらいたい、といった希望です。ここを最初に押さえないまま候補探しを始めると、後から対象が変わり、すべてやり直しになります。
親会社・子会社の関係がある場合の一般的な論点は「親会社・子会社があるM&A」も参考にしてください。
全体像の把握|4枚の地図を作る
複数社案件では、言葉での説明を聞くより、4枚の地図を描くほうが早い。私は次の四つを必ず作ります。
| 地図 | 描く内容 | 見えてくること |
|---|---|---|
| 資本の地図 | 誰が、どの会社の株式を、何%持っているか | 譲渡に必要な株主の同意、少数株主の存在 |
| 取引の地図 | グループ会社間の売買、賃貸、業務委託、資金の貸借 | 切り離したときに何が止まるか |
| 保証の地図 | 借入と、その保証人・担保。会社間の保証も含む | 譲渡時に外す必要のある保証 |
| 不動産の地図 | どの会社が何を所有し、誰が使っているか | 切り分け後の賃貸借の設計 |
この四枚を、一枚の紙に手で描けるようになることが、案件を理解した証拠です。オーナーの前で描いてみせると、認識のずれもその場で修正できます。
特に見落としがちなのが保証の地図です。A社の借入をB社が保証している、オーナー個人が全社の借入を保証している——こうした関係は、譲渡の実行に直接影響します。金融機関との調整が必要になるため、早い段階で洗い出してください。個人保証の扱いは「経営者保証はM&Aで外れるのか」を参照してください。
どこまでを譲渡対象にするか|切り分けの論点
地図が描けたら、対象の切り分けを検討します。判断の材料になる観点を挙げます。
- 事業として独立して回るか:切り離した後、その会社だけで事業が成立するか。人員、システム、管理機能が揃っているか
- 買い手が欲しいのはどれか:買い手の動機によって、必要な範囲は変わります。全部を欲しがるとは限りません
- オーナーが残したいものは何か:不動産、思い入れのある事業、家族が関わる会社
- 切り離すコスト:分割や譲渡の手続き、税務の負担、契約の巻き直し
- 残る会社の存続可能性:本業を譲った後、残った会社が成り立つのか。管理費用だけが残る形になっていないか
最後の観点は、意外に見落とされます。本業を譲った結果、残された不動産会社に借入と管理費用だけが残り、オーナーが困る——こうした事態を避けるため、譲渡後の残存会社の姿まで一緒に描いてください。
切り分けの手段としては、株式譲渡の対象を会社単位で分ける方法のほか、事業譲渡や会社分割を使う設計もあります。それぞれの実務は「事業譲渡案件の実務」「会社分割を使う場面」に整理しています。どの手段を採るかは、税務・法務の検討を経て専門家と当事者が決めることで、仲介者は論点を出す立場です。
グループ内取引と保証の整理
複数社案件で最も手間がかかるのが、会社間の関係の整理です。実務の要点を挙げます。
グループ内取引
- 取引の実態を確認する:契約書があるか、価格は合理的か、実際に役務や物が動いているか
- 譲渡後も続けるのかを決める:続けるなら契約を整備し、条件を明確にする。やめるなら、その影響を数字で示す
- 売上・原価への影響を示す:グループ内取引が売上の一部を占めている場合、譲渡後の実力値が変わります。買い手はここを必ず見ます
- 資金の貸借を整理する:会社間、オーナー個人との貸借。クロージングまでに清算するのが原則です
オーナーと会社の間の貸借については「役員貸付金・借入金の整理」を参照してください。放置されている貸借は、DDで必ず論点になります。
保証と担保
- 会社間の保証、オーナー個人の保証を一覧にする
- 譲渡対象の会社に関わる保証を、いつ、どう外すかを金融機関と協議する
- 担保に入っている不動産が、譲渡対象外の会社の借入の担保になっていないかを確認する
- クロージングの前提条件として、どこまでを求めるかを契約に定める
この整理は、時間がかかる作業です。金融機関との協議は、こちらの都合では進みません。工程表に十分な余裕を持たせてください。
進め方の設計|一括か、順次か
複数の会社を譲る場合、進め方には二つの型があります。
| 一括で譲る | 順次に譲る | |
|---|---|---|
| 利点 | 手続きが一度で済む。交渉相手が一つ | 会社ごとに最適な相手を選べる。段階的に進められる |
| 難点 | すべてを欲しがる買い手は限られる | 期間が長期化する。情報管理の負担が続く |
| 向く場面 | 事業が相互に依存している。買い手がグループごと求めている | 各社が独立して回る。事業の性質が大きく異なる |
順次に進める場合、最初の一件で何が起きるかが、その後を左右します。従業員や取引先に情報が伝わり、次の交渉に影響します。順序の設計、開示の管理、残る会社への説明——ここを丁寧に設計してください。
また、オーナーの体力と気持ちも考慮すべき制約です。M&Aは想像以上に消耗します。二年にわたって断続的に交渉を続けることが、オーナーにとって現実的かどうか。仲介者は、この点も含めて進め方を提案してください。
仲介者の関わり方|専門家と役割を分ける
複数社案件は、専門家との連携なしには進みません。役割を明確にします。
仲介者が担うこと
- 4枚の地図の作成と、当事者間の認識合わせ
- オーナーの希望(残したいもの・手放すもの)の聞き取りと言語化
- 買い手候補の探索と、対象範囲についての意向確認
- スケジュールの設計と、金融機関・専門家との日程調整
- 資料の整備と、開示の管理
専門家に委ねること
- スキームの選択と設計:税理士・弁護士の領域です
- 税務上の影響の試算:仲介者が数字を出すべきではありません
- 組織再編の手続き:会社分割や株式交換を用いる場合の手続き全般
- 契約書の作成:複数社が絡む契約は、条項の設計が複雑になります
複数社案件で仲介者に求められるのは、専門的な判断ではなく、全体を見渡して抜けを見つける力です。保証が残っている、グループ内取引の契約がない、残存会社に管理費用だけが残る——こうした「気づき」を専門家と当事者に返すことが、最大の貢献になります。
地図を描き、抜けを見つけ、専門家につなぐ。この三つを回せば、複雑な案件も一つずつ解けていきます。工程管理の型は「案件の工程管理」も参考にしてください。