本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。中小企業のM&Aでは、買い手がその会社にとって初めての買収であることが珍しくありません。経験がないことは、案件にとって不利ではありません。むしろ、事業を大切に引き継ぎたいという思いが強い買い手であることも多く、売り手にとって良い相手になり得ます。ただし、工程を知らない相手と進める案件は、説明を省くと必ずどこかで止まります。ここでは、初めての買い手に何を、いつ説明しておくかを五つの観点で整理します。

経験のなさは、候補としての優劣ではない

まず前提を確認します。買収経験の有無は、承継先としての良し悪しを決めません。売り手が本当に気にしているのは、従業員の雇用が続くか、取引先との関係が保たれるか、自社の事業が続いていくかです。これらは経験の回数ではなく、相手の考え方と体力で決まります。

一方で、経験がない買い手との案件には、実務上の特徴があります。

  • 工程の全体像が見えていない:次に何が起きるか分からないため、判断が遅れたり、逆に急いでしまったりする
  • 費用の見込みを持っていない:調査費用や専門家費用を予算に入れていないことがある
  • 社内に担当者がいない:経営者一人が本業をこなしながら検討することになり、資料を読む時間が確保できない
  • 言葉が通じない場面がある:業界の用語をそのまま使うと、理解したつもりのまま進んでしまう

これらはいずれも、先に説明しておけば解消できるものです。仲介者の役割は、経験の差を情報で埋めることであって、経験のなさを理由に候補から外すことではありません。

一枚の工程表を最初に渡す

最初の面談で、案件の全体像を一枚にまとめた工程表を渡します。内容は次の要素で足ります。

段階そこで決めること買い手側の作業
秘密保持契約・資料の受領検討を始めるかどうか社内の共有範囲を決める
質疑・面談事業の実像をつかむ質問の整理、現地の確認
意向表明おおよその条件と進め方価格の考え方と資金の目処を固める
基本合意独占して進めるかどうか、調査の範囲調査を頼む専門家を決める
買収監査(デューデリジェンス)前提が正しいかの確認調査の実施、論点の整理
最終契約・クロージング最終条件、引継ぎの段取り資金の準備、契約内容の確定
引継ぎ・統合承継後の運営従業員・取引先への説明、体制づくり

工程表を渡す目的は、各段階で何を決めるのかを先に知ってもらうことです。とくに「意向表明は契約ではないが、以後の交渉の土台になる」「基本合意の後に調査が入る」という二点は、初めての方には伝わっていないことが多いので、口頭でも補足してください。

費用と体制の見通しを、早い段階で共有する

費用の話を後回しにすると、調査の直前になって「そこまでの出費は想定していなかった」となり、案件が止まります。売り手の時間が失われるため、早い段階で見通しを共有します。

  • 調査(デューデリジェンス)の費用:会計・税務・法務のどこまで依頼するかで大きく変わる。範囲の決め方は「買い手DDのスコープ調整」を参照
  • 専門家への報酬:契約書の作成・確認を依頼する弁護士、税務の確認を依頼する税理士
  • 登記・名義変更などの実費:許認可の承継手続が必要な場合はその費用も
  • 仲介手数料:当社の場合、相談料・着手金・月額報酬はいただかず、基本合意時に成功報酬額の10%を中間金として申し受け、これは成功報酬から全額差し引きますが、基本合意後に不成立となった場合、返金はいたしません。成功報酬は移動総資産レーマン方式で、最低額は2,000万円(税別)です。詳細は料金体系をご確認ください

体制についても確認します。誰が資料を読み、誰が社内をまとめ、誰が決めるのか。経営者一人ですべてを担う体制であれば、こちらの資料の出し方を変える必要があります。要点を一枚にまとめる、面談で口頭補足する、読む時間を見込んで日程を組む、といった調整です。相手の体制に合わせて進め方を変えるのは、手心ではなく段取りです。

つまずきやすい四つの場面

初めての買い手との案件で、実務上つまずきやすい場面は次の四つです。事前に一言添えておくだけで、多くは避けられます。

  • 1. 意向表明の書き方:金額だけを書いて出してしまい、前提条件が抜けているケース。何を前提にした金額なのか、支払いの時期、想定する調査の範囲、承継後の体制まで書いておくと、後の交渉が揉めにくくなる。「意向表明書の読み方と書き方」を参照
  • 2. 調査の依頼範囲:不安から調査範囲を広げすぎ、費用と期間が膨らむケース。規模と論点に見合った範囲に絞る助言が要る
  • 3. 従業員への説明の時期:契約前に現場を見たい、従業員と話したいという要望が出ることがある。売り手の従業員に検討段階で知らせることの影響を説明し、時期と方法を売り手と相談して決める。「従業員への開示のタイミング」を参照
  • 4. クロージングの準備:資金の実行日、必要書類、名義変更や許認可の手続に要する日数。逆算して動かないと決済日がずれる。「クロージングの確認事項」を参照

四つとも、経験のある買い手なら社内で自然に処理される事柄です。初めての相手には、その都度、次に何が必要かを先に伝える。これが仲介者の役割です。

売り手にどう説明するか

売り手から「この会社は買収が初めてのようですが、大丈夫でしょうか」と聞かれることがあります。ここでの答え方が大切です。

経験の有無を長所や短所として語るのではなく、売り手が本当に気にしていることに引き戻して説明します。従業員の雇用をどう考えているか、承継後に誰が経営を担うのか、資金の目処はどうか、引継ぎにどれだけ時間をかけられるか。これらは経験の回数とは別に確認できることであり、確認した事実を伝えれば、売り手は自分で判断できます。

同時に、仲介者として工程面をどう支えるかも伝えます。「工程の説明と段取りは当社が担います」と具体的に言えることが、売り手の安心につながります。逆に、経験のなさを理由に候補から外すことを提案するのであれば、その理由は資金や体制といった具体的な事実に基づいている必要があります。印象で候補を減らすと、売り手の選択肢を狭めたことになります。

最後に一つ。初めての買収に臨む経営者は、売り手と同じように不安を抱えています。双方の不安に同じ姿勢で向き合うことが、承継後まで続く関係の土台になります。

本稿は仲介実務の一般的な型を解説するものであり、個別案件における法的・税務的な判断は、弁護士・税理士等の専門家にご確認ください。

よくあるご質問

A.そうではありません。経験の有無は承継先としての適否を決めません。確認すべきは、資金の目処、承継後の体制、雇用や取引先に対する考え方といった具体的な事実です。これらに問題がなければ、工程の理解は情報提供で補えます。外すかどうかを決めるのは売り手であり、仲介者は判断材料をそろえる役割です。
A.進め方と段取りの説明は仲介者の役割です。一方、契約内容の法的な評価、税務上の取り扱い、調査結果の判断は、弁護士・税理士等の専門家の役割です。この線引きを最初に伝えておくと、後から役割の食い違いが起きません。専門家に相談すべき場面では、早めにその旨をお伝えください。
A.不安の裏返しであることが多いため、まず何が心配かを聞いてください。論点が特定できれば、そこに絞った調査で足ります。規模に対して調査費用が過大になると、案件そのものが成立しなくなり、売り手にも不利益が生じます。範囲と費用の見合いを早い段階で一緒に整理してください。
A.経営者の可処分時間を前提に日程を組みます。資料は要点を一枚にまとめ、面談で口頭補足し、読む時間を見込んだ日程にします。あわせて、調査や契約の段階で頼れる専門家を早めに決めていただくと、終盤の負荷が下がります。段取りを整えることは、売り手の待ち時間を減らすことでもあります。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら