本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。売り手が3億円と考え、買い手が1億5千万円と提示する。この差をどう扱うかが、仲介者の腕の見せどころです。新人がやりがちなのは、間を取って2億円あたりで手を打たせようとすること。しかしこれは、差がなぜ生まれているかを確かめないまま結論を急ぐやり方で、多くの場合うまくいきません。本稿では、ギャップの原因を四つに分解し、原因別の対処、価格以外での埋め方、そして埋まらないときの判断までを扱います。

ギャップはなぜ生まれるのか|四つの原因

評価ギャップの原因は、実務上ほぼ四つに整理できます。

原因典型的な現れ方打つ手の方向
①期待値のずれ売り手が根拠のない金額を前提にしている。過去の打診や噂が基準になっている背景を聞き、評価の枠組みを共有する
②前提の違い調整項目、ネットデット、非事業用資産の扱いで、そもそも見ている数字が違う前提を突き合わせ、定義を揃える
③リスクの見方の違い買い手が特定のリスクを重く見て、価格を下げている事実を確認し、条件で手当てする
④価格以外への不満従業員の処遇、引継ぎ、屋号など、他の条件への不安が価格の話として出てくる本当の関心事を特定し、条件で応える

最初にやるべきは、この四つのどれなのかを見極めることです。原因が違えば打つ手はまったく違います。金額の話を金額で解こうとして行き詰まる案件の多くは、実は②か④が原因です。

原因①期待値のずれ|背景を聞くところから

売り手の希望額が評価レンジを大きく超えている場合、まずやるのは反論ではなく質問です。「その金額は、どのあたりからお考えになったものでしょうか」。背景には必ず理由があります。

  • 過去に受けた打診:数年前に別の会社から聞いた金額が基準になっている
  • 同業の噂:知人の会社が売れた金額を聞いている(前提も条件も違うのですが)
  • 必要額から逆算:借入の返済、退職金、引退後の生活資金から必要額を出している
  • 投じた資金からの積み上げ:これまで会社に入れてきた資金や、苦労の対価としての金額

三つ目であれば、話すべきは評価ではなく手取りの試算です。譲渡対価から税と費用を引いた金額、役員退職金を組み合わせた場合の設計。株式譲渡益への課税は現行制度で20.315%(所得税15%・復興特別所得税0.315%・住民税5%)であり、税務の最終判断は税理士によりますが、概算を示すだけで会話が具体になります。

四つ目は、感情に近い領域です。「金額の話ではなく、これまでのご苦労が評価されないと感じられている」という理解に立ってください。ここで数字の正しさを説くと、関係が壊れます。オーナーの心理は「オーナーの心理を理解する」を参照してください。

原因②前提の違い|同じ数字を見ていない

実務で最も多く、かつ最も解決しやすいのがこれです。売り手と買い手が、そもそも違う数字を見ている。典型的なずれを挙げます。

  • 収益力の調整:売り手は役員報酬を全額戻した数字を、買い手は代替人件費を差し引いた数字を見ている
  • 事業価値と株式価値:売り手が倍率を掛けた事業価値を「価格」だと理解し、ネットデットの控除を織り込んでいない
  • 非事業用資産:オーナー所有の不動産や保険積立金の扱いが整理されていない
  • 運転資本:引き渡し時の水準について合意がなく、後から調整の話が出る
  • 役員退職金:譲渡対価の一部として退職金を支給する設計かどうかが揃っていない

このずれは、一枚の突き合わせ表で解けます。左に売り手の前提、右に買い手の前提、中央に差額と理由。作ってみると、3億円と1億5千万円の差のうち、かなりの部分が前提の違いで説明できることが少なくありません。

そして、この作業は仲介者にしかできない。両方の考え方を知っているのは仲介者だけだからです。ここで価値を出せるかどうかが、実務者としての分かれ目になります。各論点は「EBITDAの実務」「ネットデットの算定実務」「運転資本の見方」を参照してください。

原因③リスクの見方の違い|条件で埋める

買い手が特定のリスクを重く見て価格を下げている場合、金額で押し返しても平行線です。リスクは、価格ではなく条件で扱うのが実務の定石です。

買い手の懸念条件による手当ての例
主要顧客との取引が続くかクロージングの前提条件として取引継続の確認を置く/一定期間の売上維持を条件とする設計を検討する
キーパーソンが辞めないか残留の意向確認、処遇の合意、一定期間の顧問就任
簿外の負担が出ないか表明保証と特別補償の設計、補償の上限と期間、一部代金の留保
オーナーが去った後に回るか引継ぎ期間の設定、業務の文書化、段階的な移行
将来の収益が読めないアーンアウト(将来業績に応じた追加支払い)の設計

アーンアウトは有効な手段ですが、安易な妥協案として持ち出さないでください。指標の定義、測定期間、譲渡後の経営への関与、算定資料の作成者、争いが生じたときの解決方法まで詰めないと、後で必ず揉めます。売り手にとっては受け取りが不確実になり、買い手にとっては経営の自由度に制約が生じるという、双方にとっての負担も理解したうえで採用すべきです。詳細は「アーンアウトとは」を参照してください。

また、そもそもリスクの事実確認が先です。買い手が懸念しているだけで、実際には問題がないこともあります。「未払残業代がありそうだから減額」という主張に対しては、まず実態を確認する。事実に基づかない減額を仲介者が取り次ぐのは、売り手に対する不誠実です。

価格以外の条件で埋める|売り手が本当に望むもの

ここが、経験を積んだアドバイザーとそうでない人の差が最も出る部分です。売り手が本当に望んでいるものは、必ずしも金額ではありません

  • 従業員の雇用と処遇:「うちの社員を辞めさせないでほしい」——最も多い希望です
  • 屋号・ブランドの存続:社名が残ることに強い思い入れがあるオーナーは多い
  • 取引先との関係:長年支えてくれた仕入先を切らないでほしい
  • 引継ぎ期間と自身の関わり方:すぐに退きたいのか、数年関わりたいのか
  • 本社・工場の存続:地域に残してほしい、拠点を閉じないでほしい
  • 支払いのタイミング:一括か分割か。時期によって税務上の影響もある
  • 公表の仕方:いつ、誰に、どう伝えるか

これらが満たされるなら、価格の一部を譲ってもよいと考えるオーナーは実際に多くいます。逆に、これらが満たされないなら、いくら積まれても売らないという方もおられます。仲介者の仕事は、この優先順位を早い段階で引き出しておくことです。

買い手側にとっても、価格以外の譲歩のほうが受け入れやすいことがあります。雇用の維持や屋号の存続は、多くの買い手にとって当然の前提であり、追加のコストがほとんどかかりません。双方にとって安いカードを見つけて交換する——これが交渉の実務です。交渉の進め方は「価格交渉の進め方」も参照してください。

埋まらないときの判断と、仲介者が越えてはいけない線

埋まらないときの選択肢

すべてを尽くしても折り合わないことはあります。そのときの選択肢を、売り手と整理してください。

  • 他の候補を探す:買い手によって評価は変わります。打診先を広げる、時期を変えて再度当たる
  • 条件の設計を変える:譲渡の範囲(不動産を切り離す、一部事業のみ譲渡する)、支払いの方法、段階的な譲渡
  • 時期を改める:磨き上げに時間をかけ、数年後に再挑戦する
  • 今回は見送る:これも正当な結論です

譲渡範囲の変更については「株式譲渡と事業譲渡の違い」を、時間をかける場合は「磨き上げとは」を参照してください。

越えてはいけない線

最後に、これだけは守ってください。ギャップを埋めたい気持ちが強いほど、次の一線を越えたくなります。

  • 片方の手の内を、他方に伝えない:「売り手はあと◯千万円までなら下げます」——これは信頼の破壊であり、中小M&Aガイドライン(第3版・令和6年8月)が求める利益相反への配慮にも反します
  • 数字を作らない:根拠のない調整項目を積んで評価を高く見せる、リスクを小さく見せる
  • 断定しない:「この価格なら間違いなく決まります」「税務上も問題ありません」
  • 急がせない:「今決めないと相手が降ります」と迫って判断を歪めない
  • 納得しないまま進めない:腹落ちしていない当事者は、後で必ず揺り戻す

ギャップが埋まらないまま強引に基本合意まで持ち込んだ案件は、デューデリジェンスや最終契約の段階でほぼ確実に揺り戻しが来ます。案件が壊れる典型は「案件が壊れるパターン」にまとめました。成約数ではなく、納得のうえで成約した数を数える——この姿勢が、長くこの仕事を続けるための土台になります。職業倫理は「M&A仲介の職業倫理」を参照してください。

本稿は仲介実務の一般的な型を解説するものであり、個別案件における会計・税務・法務の判断は、公認会計士・税理士・弁護士等の専門家にご確認ください。

よくあるご質問

A.差の原因を分解することです。期待値のずれなのか、前提としている数字の違いなのか、リスクの評価の違いなのか、あるいは価格以外の条件への不満が価格の話として表れているのか。原因によって打つ手はまったく違います。金額の中間を提案して折り合わせようとするのは、原因を確かめないまま結論を急ぐやり方で、多くの場合うまくいきません。
A.将来の業績見通しに差がある場合には有効なことがあります。ただし、指標の定義、測定期間、譲渡後の経営への関与、算定資料の作成者、争いが生じた場合の解決方法まで詳細に設計しないと、後にトラブルになります。売り手にとっては受け取りが不確実になり、買い手にとっては経営の自由度に制約が生じます。安易な妥協案として持ち出すのではなく、双方が仕組みを理解したうえで採用すべき手法です。
A.無理に成立させないことです。納得しないまま進んだ案件は、デューデリジェンスや最終契約の段階で必ず揺り戻しが来ますし、成約後の関係にも影響します。折り合わない場合は、他の候補を探す、時期を改める、条件の設計を変える、といった選択肢を売り手と整理してください。今回は見送るという判断も、正当な結論の一つです。

Join Us & Consultation

距離を、丁寧に縮められる人へ。

当社は、両者の言い分を正確に理解し、着地点を一緒に探せるM&Aアドバイザーを募集しています。粘り強く人と向き合える方を歓迎します。
会社の売却・事業承継をご検討の経営者の方は、無料相談(メール info@platinumpartners.jp でも可)から承ります。

Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら