M&Aアドバイザーにとって、決算書を読む力は「あれば有利な素養」ではなく、案件を前に進めるための基礎体力です。ただし求められているのは会計士の仕事ではありません。数字の動きから事業の実態を推測し、社長に聞くべきことを言語化し、買い手のデューデリジェンス(DD)で必ず論点になる箇所を先回りして準備する——それがアドバイザーの読み方です。本稿では、3期分の決算書を受け取ってから初回の質問リストを作るまでを、手順として整理します。
なぜ3期分なのか|1期は「点」、3期で「線」になる
1期分の決算書から分かるのは「水準」だけです。売上がいくらで、利益がいくらで、純資産がいくらか。しかし買い手が知りたいのは水準ではなく「方向」と「安定性」です。2期あれば増減は分かりますが、その増減が傾向なのか一過性なのかは判別できません。3期並べて、はじめて線になります。
初期に受領をお願いする資料は、次の一式が標準です。
- 決算書3期分(貸借対照表・損益計算書・株主資本等変動計算書・個別注記表)
- 勘定科目内訳明細書3期分
- 法人税・地方税・消費税の申告書一式3期分(別表を含む)
- 直近の月次試算表(決算月からの経過月数分)
- 固定資産台帳、借入金の返済予定表
申告書の別表を必ずセットで求めるのは、決算書だけでは見えない繰越欠損金、寄附金・交際費の否認、同族会社の判定、役員給与の扱いといった情報がそこにあるためです。「決算書だけで結構です」と言ってしまうアドバイザーは、後工程で必ず取り直すことになります。最初の依頼で過不足なく揃えることも実務力のうちです。資料の受け渡しと管理の型は「受領資料の整理術」で扱っています。
なお、資料を求める前提として秘密保持契約(NDA)が締結されていることを必ず確認してください。順序を誤ると、それ自体が信頼を損ないます(参考:「NDAの実務」)。
読む順番|BS→PL→CFの順で、最後に注記へ戻る
多くの人はPL(損益計算書)から読みます。売上と利益が気になるからです。しかし実務では、BS(貸借対照表)から読むことを勧めます。PLは1年間の成績表ですが、BSは会社が創業以来やってきたことの結果が積み上がった写真だからです。粉飾の痕跡も、経営者の性格も、BSのほうに残ります。
1. BSを3期横並びで見る
- 純資産:増えているか、減っているか。債務超過かどうか
- 現預金:月商の何か月分あるか。3期で増減したか
- 売掛金・棚卸資産:売上の伸びと比べて不自然に増えていないか
- 借入金:総額と、短期・長期の比率。運転資金か設備資金か
- 役員貸付金・役員借入金:会社と個人の資金が混ざっていないか
- 仮払金・立替金・その他流動資産:内容不明の残高が居座っていないか
2. PLを3期横並びで見る
- 売上高:トレンドと、変化があった期の理由
- 売上総利益率:期ごとにぶれていないか。ぶれているなら原価か価格か
- 販管費:役員報酬、地代家賃、保険料、交際費などオーナー関連の科目
- 営業利益と経常利益の差:営業外に何が入っているか
- 特別損益:一過性の損益が営業成績を見えにくくしていないか
3. キャッシュの動きを見る
中小企業ではキャッシュフロー計算書が作成されていないことが大半です。その場合は、税引後利益に減価償却費を足し戻し、売掛金・棚卸資産・買掛金の増減で調整した簡易営業CFを自分で作ります。利益が出ているのに現預金が増えていない会社は、必ずその理由を突き止めてください。詳しくは「資金繰り表とキャッシュフローの読み方」で扱います。
最後に個別注記表と申告書の別表に戻り、偶発債務、担保提供、関連当事者取引、繰越欠損金を確認します。ここに書かれていることは、後の交渉条件に直結します。決算書の基本的な構造をおさらいしたい場合は「M&Aにおける決算書の見方」も参考にしてください。
勘定科目内訳明細書の使い方
決算書が「要約」なら、勘定科目内訳明細書は「明細」です。読み慣れていないアドバイザーが最も差をつけられるのが、この書類です。金額の大きい順ではなく、次の観点で見ます。
| 明細 | 見るポイント | そこから生まれる質問 |
|---|---|---|
| 売掛金 | 取引先の集中度、同じ先が3期居座っていないか | 上位数社への依存度は。長期滞留分の回収見込みは |
| 棚卸資産 | 品目、期をまたいで動かない在庫 | 不動在庫の評価は。廃棄の実務はどうしているか |
| 仮払金・貸付金 | 相手先が役員・親族・関連会社か | 資金の性格は。譲渡までに整理できるか |
| 土地・建物 | 所在地、オーナー個人所有かどうか | 事業用不動産の所有者は。譲渡後の賃貸条件は |
| 借入金 | 金融機関ごとの残高、代表者保証の有無 | 経営者保証の解除は可能か。担保に何を入れているか |
| 役員報酬 | 役員ごとの金額、勤務実態のない親族の有無 | 実際の職務内容は。譲渡後も残る人か |
| 地代家賃 | 支払先がオーナーや資産管理会社か | 相場との差は。譲渡後の契約はどうするか |
| 保険料 | 契約者・被保険者・受取人 | 解約返戻金はいくらか。譲渡時の扱いは |
内訳明細書を読む目的は「取引の相手が誰か」を知ることです。会社とオーナー個人が混ざっている箇所は、ほぼ例外なく後で論点になります。ここを初期に洗い出しておけば、DDの局面で慌てずに済みます。
「説明を求めるべき違和感」の見つけ方
ここが本稿の核心です。アドバイザーは粉飾を摘発する立場ではありません。役割は、買い手が必ず引っかかる箇所を先に見つけ、売り手側で説明と裏づけ資料を準備することです。「疑う」のではなく「聞く」。この姿勢の違いが、社長との関係を決めます。
| 気づく違和感 | 考えられる背景(いずれも普通にあり得る) |
|---|---|
| 売上は伸びているのに現預金が増えない | 回収サイトの長期化、在庫の積み増し、設備投資、借入返済 |
| 売上総利益率が期ごとに大きく動く | 案件構成の変化、仕掛品の計上方法、原材料価格の転嫁遅れ |
| 売掛金の回転期間が伸び続けている | 大口先の支払条件変更、回収不能債権の滞留 |
| 在庫が売上の伸び以上に増えている | 需要見込みの変更、廃棄処理の未実施、評価方法 |
| 内容不明の仮払金・立替金が3期居座る | 精算漏れ、役員個人との資金往来 |
| 減価償却が期によって行われていない | 金融機関対応、任意償却の判断 |
| 役員報酬が期ごとに大きく変わる | 業績連動の調整、税負担の平準化 |
| 期末月だけ売上が突出している | 季節性、検収時期、期ズレ |
| 関連会社との取引が多い | グループ内での機能分担、資金融通 |
| 退職給付・未払残業が計上されていない | 規程の運用実態、簿外債務の可能性 |
重要なのは、右列がすべて「普通にあり得ること」だという点です。中小企業の会計は、悪意ではなく事情でばらつきます。だからこそ、アドバイザーは断定せずに事情を聞き、必要なら顧問税理士に確認を回し、買い手に説明できる形に整えるのです。財務DDで実際に何が見られるかは「DDの段取りとコーディネーション」で解説しています。
社長への質問の仕方|詰問にしない
違和感を見つけても、聞き方を誤ればそこで関係が終わります。中小企業の社長にとって決算書は自分の通信簿であり、指摘は人格への評価と受け取られやすいからです。次の型を守ってください。
- 目的を先に言う:「買い手が必ず質問する箇所なので、先に押さえておきたいのですが」
- 事実を確認する形にする:「この仮払金は、どういう性格のものでしょうか」
- 評価語を使わない:「おかしい」「不自然」「問題がある」と言わない
- 複数まとめて渡す:1つずつ小出しにせず、質問リストにして事前に共有する
- 回答の使い道を示す:「企業概要書に、こう書かせていただこうと思います」
質問リストは、初回面談の後に1枚のシートにまとめ、メールで先に送ってから面談で確認するのが効率的です。社長が顧問税理士に確認する時間も生まれます。初回面談そのものの進め方は「売り手オーナーとの初回面談」を参照してください。
そして、聞いた内容は必ず記録に残します。「社長がそう言った」ではなく、いつ・誰が・何と説明したかを残しておくことが、後のDDや表明保証の局面で自分と依頼者を守ります。
読む力の鍛え方|1件1時間の型をつくる
決算書を読む力は、才能ではなく反復で身につきます。当社が新任のアドバイザーに勧めているのは、次の型です。
- 3期分の主要科目を1枚の表に手で書き写す(表計算に打ち込む)。眺めるだけでは気づけない
- 売上・粗利率・営業利益・純資産・現預金・借入金・売掛金・在庫の8項目を並べ、増減率を出す
- 「なぜ動いたか」の仮説を、科目ごとに1行ずつ書く
- 内訳明細書で仮説を検証し、検証できないものを質問リストに移す
- 質問リストを上長に見せ、抜けと聞き方を指摘してもらう
この一連を1件あたり1時間で回せるようになると、面談の質が明確に変わります。社長は「この人は自社の数字を見てきた」と分かるからです。逆に、数字を読まずに面談へ行くと、話は世間話と価格の話に終始します。
もう一つ大切なのは、境界線を守ることです。会計処理の適否、税務上の取扱い、法的な効力は、アドバイザーが判断する領域ではありません。当社では、会計・税務の論点は顧問税理士や連携先の専門家に確認し、確認前の見解を依頼者に断定的に伝えないことを実務ルールにしています。読む力とは、答えを出す力ではなく、正しい問いを立てて正しい人に渡す力です。