M&Aの話をしていると「マンデートを取っている」「マンデートが出た」という言い方に出会います。マンデート(mandate)は「委任」「権限の付与」という意味の言葉で、M&Aの場面では売り手または買い手から正式に依頼を受けている状態を指して使われます。
この言葉が実務で重要なのは、「依頼を受けていない相手から来た話」が混ざるからです。会社を譲ることを考えていると、いろいろな経路で打診が来ます。そのうちどれが本人の意思に基づく正式な依頼で、どれが噂や推測から来た打診なのかを見分けられないと、情報だけが広がります。
「マンデートがある」とは何を指すのか
マンデートがある状態とは、依頼者と事業者の間で書面の契約が結ばれていることを意味します。中小企業のM&Aでは、仲介契約やアドバイザリー契約と呼ばれる契約書がこれに当たります。この契約には、何を任せるのか、報酬はどう計算するのか、秘密をどう扱うのか、期間はどれだけか、他の事業者にも依頼できるのかが書かれます。
契約がない段階で「売りたい会社を探している」という話をするのは、営業の活動です。それ自体は普通のことですが、「あの会社が売りに出ている」と第三者に伝える権限はありません。依頼を受けていない事業者が社名を出して買い手を回ると、売り手の知らないところで情報が広がります。
したがって、打診を受けた側が確かめるべきことは1つです。「この話は、相手方から依頼を受けて持ってきているものですか」。この問いに即答できない相手からの話は、まだ案件になっていません。
独占か、そうでないか
マンデートには、1社だけに任せる形と、複数の事業者に任せる形があります。
独占的に任せる形(専任)では、契約の期間中は他の事業者に依頼できません。事業者の側は、他に取られる心配がないので時間と手間をかけやすくなります。売り手の側は、1社に委ねるぶん、その事業者の力量と誠実さに結果が左右されます。期間の長さと、途中で解約できるかが論点になります。
複数に任せる形(非専任)では、同時に何社にも依頼できます。候補の幅が広がる一方で、同じ買い手に複数の事業者から別々に打診が行くことが起きます。買い手から見ると「この会社は複数のルートで売りに出ている」と映り、条件の交渉で不利に働くことがあります。情報が広がる範囲も、依頼先の数だけ増えます。
中小M&Aガイドライン(第3版・令和6年8月)は、専任の期間や、セカンド・オピニオンを得ることの扱いについて考え方を示しています。契約前に、専任条項の範囲と期間を確かめてください。
売り手として確かめること
自分が依頼する側に立つとき、契約書で確かめる項目を挙げます。
- 任せる範囲。相手探しだけか、交渉の支援も含むか、契約書の作成はどうなるか。
- 社名を出す手順。買い手候補に社名を伝える前に、自分の承諾を取る形になっているか。これが無いと、知らない相手に社名が渡ります。
- 期間。何か月か。自動で更新される条項が入っていないか。
- 解約。途中でやめられるか。やめたときに何が残るか。
- テール条項。契約が終わった後でも、紹介を受けた相手と成約した場合に報酬が発生する取り決め。対象となる相手の範囲と期間を確かめます。
このうち「社名を出す手順」は、見落とされやすく、影響が大きい項目です。一度広がった情報は戻せません。
買い手として打診を受けたとき
買い手の立場で打診を受けた場合も、同じ確認が必要です。相手がマンデートを持っていないと、検討しても前に進みません。資料を見て関心を持った後で「実は売り手に確認してみます」という話になり、そこで止まることがあります。
確かめる順番としては、まず依頼を受けているかを聞き、次に秘密保持契約を結び、それから詳しい資料を受け取る形になります。秘密保持契約を結ぶ前に社名や詳細が出てくる場合、その事業者の情報の扱いを疑う材料になります。
また、同じ案件が複数の事業者から持ち込まれることがあります。これは非専任の依頼か、あるいは依頼を受けていない事業者が情報を回しているかのどちらかです。どちらであるかを確かめないまま進めると、報酬の支払い先で揉めることがあります。
情報が広がる経路は、依頼の数だけ増える
マンデートの話が実務で効くのは、報酬や権限の問題だけではありません。情報の広がる範囲が、依頼した先の数と、そこから先に回る相手の数で決まるからです。
1社に依頼した場合、社名が出る相手は、その事業者が承諾を取って接触した買い手候補に限られます。3社に依頼した場合、3社それぞれが候補を回るので、重なる相手もいますが、合計の範囲は広がります。さらに、依頼を受けていない事業者が噂を元に動くと、誰が知っているのかを把握できなくなります。
情報が広がると、何が起きるか。従業員が外から聞いて知ることがあります。取引先が別の仕入先を探し始めることがあります。同業者から「売りに出ているそうですね」と言われることがあります。一度広がった情報は戻せず、取引がまとまらなかった場合も残ります。
対策は単純で、依頼する先を絞り、社名を出す前の承諾を手順として契約書に入れ、どの相手にどこまで話したかを自分で記録しておくことです。記録がないと、漏れたときに経路を辿れません。
言葉より、書面を見る
マンデートという言葉は、業界の中では日常的に使われますが、法律上の定義があるわけではありません。したがって、「マンデートがある」という説明そのものには確かさがありません。確かなのは、契約書が存在するかどうかです。
自分が依頼する側なら、自分が署名した契約書の内容を読み返すこと。打診を受ける側なら、相手が依頼を受けているかを聞き、秘密保持の取り決めを先に結ぶこと。これだけで、情報が不必要に広がる経路のかなりの部分が閉じます。
用語の意味はM&A用語集にもまとめています。契約の条項については、弁護士に確認してください。