買収案件は、都合よく一件ずつ届くわけではありません。何も来ない時期が続いたかと思えば、数件が同時に動くこともあります。並行して見ること自体は当然の実務ですが、管理の仕方を決めておかないと、どれも中途半端になり、結局どれも成立しないという事態が起こります。本稿では、複数案件を扱うときの整理の仕方をまとめます。
並行検討は前提として設計する
一件に絞って全力で当たるほうが誠実に見えるかもしれません。しかし実際には、検討した案件が成立するとは限らず、相手の事情で止まることもあります。一件に絞る運用は、その一件が止まったときに何も残らないという弱さを持ちます。
一方で、無制限に並べるのも現実的ではありません。案件が進むほど必要な時間と費用が増え、どこかで自社の処理能力を超えます。並行検討で大事なのは件数ではなく、どの段階に何件まで置くかを決めておくことです。
件数の目安は、資金の枠と、検討に関われる人の数で決まります。枠の考え方は「買収の予算枠の決め方|一件あたりいくらまで出せるかを先に決める」で扱っています。
段階で仕分ける
案件を一つの箱に入れて眺めると、比較できません。進み具合で段階に分け、段階ごとに置ける件数の上限を決めます。
| 段階 | 状態 | かかる負担 |
|---|---|---|
| 受領 | 社名を伏せた概要を受け取った | 読む時間だけ。件数を絞る必要はない |
| 初期検討 | 秘密保持契約を結び、資料を受け取った | 読み込みと社内共有。数件までなら扱える |
| 面談・条件検討 | 売り手と面談し、条件を組み立てている | 経営陣の時間が要る。同時に進めるのは少数に |
| 調査・契約 | 意向表明後、調査に入っている | 費用が発生する。原則として一件ずつ |
下の段階ほど、件数を絞る必要があります。とくに調査以降は費用が発生し、撤退しても戻りません。ここを複数同時に進めるのは、よほど体制が整っている場合を除いておすすめできません。
受領の段階で件数を絞る必要はありません。むしろ多く見るほど、自社の基準が磨かれます。ノンネーム情報の読み方は「ノンネーム情報から何を読み取るか|検討を始める前の見立て」をご覧ください。
比較表に載せる項目
並行して見るなら、同じ形式で並べられるようにしておきます。案件ごとに資料の作りが違うと、比較になりません。最低限そろえたいのは次の項目です。
- 事業内容と、自社のどの課題に効くか
- 規模——売上、実質的な利益水準、従業員数
- 拠点と、自社からの移動時間
- 譲渡希望価格(提示があれば)と、自社の想定する幅
- 買収後に誰が見るか、その人が空いているか
- 現時点の懸念と、確認が必要な点
- 相手方の検討状況——他の買い手が並行しているか、売り手が急いでいるか
利益は、表面の数字ではなく実質的な水準で並べます。中小企業では役員報酬や経営者個人に関わる費用が損益に混じることが多く、そのままでは比較になりません。考え方は「実質利益(正常収益力)とは|役員報酬の足し戻しで評価が変わる理由」で解説しています。
最後の「相手方の検討状況」は見落とされがちですが、優先順位を決めるうえで重要です。売り手に期限がある案件と、時間に余裕がある案件では、自社の動き方を変える必要があります。
資金と人を先に割り当てる
比較表ができたら、資金と人を割り当てます。ここで初めて、並行検討が現実的かどうかが見えます。
資金は重複して数えない
「この案件にはこの枠、あの案件にもこの枠」と、同じ資金を複数の案件に当てて計画していると、二件同時に話が進んだときに破綻します。年間の総枠を先に置き、案件ごとに仮押さえしていく形にすると、重複が見えます。
人は資金より先に足りなくなる
実務では、資金より人のほうが先に限界に達します。検討そのものに経営陣の時間がかかり、成立すれば統合にも人が要ります。「買った後にこの会社を見る人は誰か」が同じ名前で複数案件に書かれているなら、その時点で並行しすぎです。
順位は定期的に見直す
優先順位は固定しません。月に一度は比較表を更新し、順位を確認します。相手の状況が変われば順位も変わります。見直しの場を決めておくことで、「気づいたら止まっていた」案件を減らせます。
相手にどう伝えるか
並行して検討していることを、相手にどこまで伝えるかは判断が要ります。基本は、隠さないことです。
仲介会社やアドバイザーに対しては、並行の事実と、自社が今どの段階にいるかを伝えておくほうが、結果的に良い扱いを受けます。返答が遅れる理由が分かっていれば、相手も待てます。逆に、理由を告げずに検討が止まると、買い手としての優先度が下がります。
売り手に対しては、伝え方に配慮が要ります。「他も見ています」という言い方は、相手の心証を損ねます。むしろ「複数の案件を検討しており、御社については社内でここまで進んでいる」と、自社側の進み具合として伝えるほうが誠実に響きます。
独占交渉権を求める段階では絞る
独占交渉権を求めるということは、相手に他の候補との交渉を止めてもらうことです。自社が複数を並行したまま独占を求めるのは、筋が通りません。求めるなら、その案件に絞る判断とセットにします。詳しくは「独占交渉権をいつ求めるか|買い手側から見た期間と範囲の設計」をご覧ください。
まとめ|件数ではなく段階で管理する
複数案件を扱うときに決めるべきは「何件まで見るか」ではなく、「どの段階に何件まで置くか」です。受領は広く、調査は一件ずつ。同じ形式の比較表で並べ、資金と人を重複なく割り当て、月に一度は順位を見直す。相手には、並行の事実を隠さず、自社側の進み具合として伝える。
並行検討は、機会を増やすためだけの工夫ではありません。比べる対象があると、一件ごとの判断が冷静になります。一件しか見ていないと、その一件が唯一の機会に見えてしまい、条件を譲りすぎることがあります。複数を見ておくことは、自社を守る意味も持っています。
当社では、買収をご検討の企業さまのご相談を成功報酬型で承っており、相談料・着手金・月額報酬はいただいておりません。買い手の方向けのご案内は「買収をお考えの方へ」にまとめています。