買収した会社の人事制度をどう扱うかは、PMIの中でも最も慎重さが求められる領域です。数字の統合は誤りがあれば直せますが、待遇に手を入れて信頼を失うと、取り返すのに長い時間がかかります。一方で、いつまでも二つの制度が併存すれば、グループとしての人事は動かせません。本稿では、給与・評価・就業規則という三つの柱を、どの順序で、どこまで揃えるかを整理します。有給休暇や退職金など個別の労働条件については「労務条件の統合|有給・退職金・社会保険の引き継ぎ」で扱います。

人事制度は「揃えないと困るもの」から手をつける

まず持っておきたい原則は、人事制度は揃えること自体が目的ではないということです。統合の要否は、次の三つに分けて考えると整理できます。

区分内容時期の目安
早く揃える労務コンプライアンスに関わる部分(労働時間管理、割増賃金の計算、36協定、安全衛生)成立後すぐ〜数か月
時間をかけて揃える給与体系、等級制度、評価制度、賞与の決め方1〜3年かけて段階的に
揃えなくてよい勤務地固有の手当、業務内容に紐づく資格手当、地域や職種で必然的に異なる部分統合しない判断も正解

とりわけ、労務上の法令遵守に関わる部分は先送りできません。未払い残業代や社会保険の未加入といった論点は、買収によって買い手のリスクにもなります。デューデリジェンスで把握した論点は、統合の初期に是正計画を立ててください(「労務デューデリジェンスとは」参照)。

就業規則の統合|まず現物を突き合わせる

株式譲渡であれば、買収された会社の法人格はそのまま続き、労働契約も就業規則も引き継がれます。買い手の就業規則が自動的に適用されるわけではない、という点がまず出発点です。

実務では、次の順序で進めるのが安全です。

  • 現物の確認——最新版がどれか、届出済みか、賃金規程・退職金規程・育児介護休業規程などの附属規程が揃っているかを確認する
  • 実態との差の確認——規則には書かれているが運用されていない制度、逆に慣行として存在するが規則にない制度を洗い出す
  • 差異一覧の作成——両社の規程を条文単位で突き合わせ、有利・不利・同等に色分けする
  • 是正と統合の切り分け——法令上直さなければならない部分(是正)と、経営判断で揃える部分(統合)を分ける

中小企業では、規則が古いまま更新されていない、附属規程が見当たらない、といったことが珍しくありません。統合の前にまず現行規則を法令に適合した状態へ整えることが先決で、これは従業員にとっても不利益にならないため、比較的進めやすい作業です。

給与体系の統合|急がないほうがよい理由

給与体系の統合は、PMIで最も失敗が目立つ領域です。急ぐべきでない理由は三つあります。

第一に、金額の比較だけでは優劣を判断できないこと。基本給が低くても手当が厚い、賞与の支給月数が高い、退職金の水準が違うなど、総報酬で見ないと実態は分かりません。第二に、制度を揃えると人件費が動くこと。多くの場合、下げる方向の調整は実務上難しく、上げる方向で揃えることになり、想定外の負担増になります。第三に、従業員が統合の意図を「コスト削減」と読むことです。買収直後に給与制度へ手を入れると、内容にかかわらず不安が広がります。

現実的な進め方は、次のとおりです。

  • 初年度は現行の給与体系を維持し、変更しないことを明言する
  • 同時に、両社の総報酬(基本給+諸手当+賞与+退職金)を役割・年齢層別に比較する資料を作る
  • 統合の必要性が確認できた項目だけを、翌年度以降に順次揃える
  • 統合の理由は「グループ内の異動や登用を可能にするため」など、前向きな目的で説明する

人事評価の統合|制度より先に運用を揃える

買収された会社に評価制度がない、あるいは形骸化しているというのは、中小企業ではよくあることです。ここで買い手側の精緻な評価制度をそのまま持ち込むと、様式の記入だけが増えて中身が伴わない、という結果になりがちです。

お勧めしたいのは、制度の統一より先に、運用の型を揃えるアプローチです。具体的には次の三つから始めます。

  • 期初の目標設定面談——上長と部下が、その期に何を達成するかを話し、書面に残す
  • 期中の1on1——月に一度でも、進捗と困りごとを話す場を設ける
  • 期末の振り返り面談——できたこと・できなかったことを確認し、次期の課題を共有する

この三つが回るようになってから、評価基準や等級の統一に進んでも遅くありません。むしろ、面談の場で交わされる会話を通じて、対象会社に必要な評価軸が見えてきます。評価結果を処遇へ反映するのは、制度が一巡してからでよいでしょう。

不利益変更を避ける移行措置の設計

労働条件を従業員にとって不利な方向へ変更することには、法律上の制約があります。就業規則の変更による労働条件の引き下げは、変更の必要性、内容の相当性、従業員が受ける不利益の程度、労働組合等との交渉の経緯などを踏まえて有効性が判断されるとされており、慎重な手続きが求められます。個別の可否は弁護士・社会保険労務士にご確認ください。

実務上よく用いられる工夫は次のようなものです。

  • 調整給(激変緩和手当)——新制度で下がる分を一定期間補填し、段階的に縮小する
  • 複数年の移行期間——3年程度をかけて新制度へ寄せ、その間は現行水準を保証する
  • 新規入社者からの適用——既存従業員は現行制度のまま、新しく入る人から新制度を適用する
  • 選択制——一定期間、従業員が新旧いずれかの制度を選べるようにする

いずれの方法でも、「いつまでに、何が、どう変わるのか」を書面で示すことが要です。口頭の説明だけでは、伝言の過程で内容が変わり、不安が拡大します。

説明の順序|決めてから伝えるか、相談しながら決めるか

人事制度の変更は、内容と同じくらい伝え方が結果を左右します。順序の基本形は次のとおりです。

  • 第1段階——買収直後の説明会で「当面、労働条件は変わらない」ことを明言する
  • 第2段階——制度の比較検討を始める段階で、検討していること自体と、その目的を管理職に共有する
  • 第3段階——方向性が固まった時点で、管理職→全従業員の順に説明し、書面を配布する
  • 第4段階——個別に影響が大きい従業員には、一対一で説明の場を設ける

避けたいのは、検討段階の情報が断片的に漏れて噂になることです。そのためには、検討していること自体を早めに開示し、決まっていないことは「決まっていない」と伝えるほうが、沈黙を守るより安全です。最初の説明会の設計については「現場の不安にどう向き合うか|最初の説明会の設計」もあわせてご覧ください。

なお、人事制度の統合は労働法令と密接に関わります。実際の設計にあたっては、必ず社会保険労務士・弁護士などの専門家にご確認ください。当社は、譲渡後の従業員の処遇まで見据えた条件設計をご一緒に検討しています。

よくあるご質問

A.急ぐ必要はほとんどありません。給与水準や手当の構成は会社ごとに歴史があり、単純に本社の制度へ置き換えると、一部の従業員の待遇が実質的に下がったり、逆に人件費が想定以上に増えたりします。まずは現行制度をそのまま維持したうえで両社の制度を比較し、統合する場合も複数年の移行期間を設けるのが一般的な進め方です。統合の目的が人件費削減であるかのように受け取られると、定着に大きな悪影響が出ます。
A.株式譲渡の場合、買収された会社は法人格が存続し、労働契約も就業規則もそのまま引き継がれます。買い手の就業規則が自動的に適用されるわけではありません。統一する場合は、対象会社の就業規則を改定する手続き(従業員代表の意見聴取、労働基準監督署への届出など)が必要です。労働条件の引き下げにあたる部分がないかは、社会保険労務士や弁護士に確認したうえで進めてください。
A.反発の多くは制度の内容そのものではなく、「何のために評価されるのか分からない」「これまでの働きが否定されたように感じる」という受け止めから生じます。制度の導入を急がず、まずは目標設定と面談だけを先行させ、評価結果を処遇に反映するのは翌年度以降とする、といった段階的な進め方が有効です。導入の目的を、選別ではなく育成と処遇の納得性向上に置いていることを、繰り返し説明することも大切です。

Free Consultation

従業員の処遇まで見据えたM&Aを。

譲渡後の人事・労務の引き継ぎについても、ご検討の段階から無料でご相談いただけます。守秘義務を徹底し、ご決断を急がせることはありません。
メール(info@platinumpartners.jp)でも承ります。

無料相談を申し込む

Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら