「この屋号は残したい」という売り手の希望と、「この名前で商売を続けたい」という買い手の判断は、多くの案件で一致します。ところが、その名称を使い続ける権利が本当に会社にあるのかを確認しないまま成約を迎えると、後になって使用できないことが判明する場合があります。本稿では、商標と屋号をめぐる権利の所在の確かめ方と、継続使用のために整えるべき実務を解説します。権利関係の判断は専門的ですので、弁理士・弁護士にご確認ください。
名称をめぐる3つの層を切り分ける
会社が使っている名称には、性質の異なる複数の層があります。これらを一緒くたにすると、確認の抜けが生じます。
- 商号——登記された会社の名称。株式譲渡では会社そのものが存続するため、原則としてそのまま残る
- 屋号・店舗名・サービス名——事業活動で使っている呼称。登記とは無関係に存在する
- 登録商標——特許庁に登録され、指定した商品・役務の範囲で独占的に使用できる権利
株式譲渡の場合、会社の資産として登録商標を保有していれば、株主が変わってもその権利は会社に残ります。一方、事業譲渡の場合は、譲渡の対象に商標権を含めていなければ移りません。どの手法で承継するかによって、確認すべきポイントが変わります。
厄介なのは、登記上の商号と実際に使っている屋号が違うケースです。看板・ホームページ・名刺・請求書・製品ラベルで異なる名称が併存していることもあり、どれを残すのかを整理しないと、後の統一作業が混乱します。
まずは、社外に出ているすべての名称を書き出すことから始めてください。現場の担当者に協力を仰ぎ、印刷物や包装資材まで含めて洗い出すと、思わぬ名称が見つかります。
商標登録の名義を確認する
次に、登録商標の有無と名義を確認します。特許庁が提供する検索サービスで、名称や権利者から登録状況を調べることができます。確認すべきは次の点です。
- 権利者の名義——会社名義か、前オーナー個人名義か、関連会社名義か
- 指定商品・指定役務——どの分野で権利が及ぶか。実際の事業範囲と合っているか
- 存続期間と更新時期——次の更新登録の期限はいつか
- ライセンスや質権の設定——第三者に使用を許諾していないか
中小企業で実際に多いのが、前オーナー個人の名義で登録されているケースです。創業時に個人で出願し、そのまま会社に移していないという事情によるものですが、このまま譲渡が完了すると、会社は自社のブランドを他人の権利のもとで使い続けることになります。前オーナーとの関係が良好なうちは問題が表面化しませんが、関与期間が終わったあとにリスクが残ります。
対応は、譲渡の実行までに会社名義へ移転してもらうか、無償かつ無期限に近い条件の使用許諾を書面で得るかのいずれかです。実務では、移転を譲渡実行の前提条件として契約に盛り込むのが確実です。移転には手続きと費用が伴いますので、早めに弁理士へ相談してください。
なお、個人名義の権利を会社へ移す場合、対価の設定によって税務上の論点が生じ得ます。処理方法は顧問税理士にご確認ください。
登録していない屋号をどう守るか
長く使っているのに商標登録をしていない、という会社は少なくありません。この場合、他者が同じ名称を先に登録すると、自社の使用が制約される可能性があります。逆に、他社の登録商標と紛らわしい名称を使い続けていて、これまで指摘がなかっただけ、という状態もあり得ます。
買収を機に、主要な名称については出願を検討することをおすすめします。出願にあたっては、先行する登録の有無を調査し、指定する商品・役務の範囲を事業計画に合わせて設計します。将来展開したい分野まで見込んでおくと、後の追加出願を減らせます。
あわせて確認したいのが、他社の権利を侵害していないかという視点です。デューデリジェンスで知的財産の調査が行われていれば、その結果を引き継ぎます。行われていない場合や、調査範囲が限定的だった場合は、買収後に改めて確認する価値があります。名称を全国展開する、新しい分野へ広げるといった計画があるときは特に重要です。
調査と出願の判断は専門的な領域です。似た名称が存在する場合の評価は一律ではありませんので、弁理士の助言を得て進めてください。
前オーナーの個人名・家名を冠した名称
創業者の姓を冠した屋号や、家業として代々使ってきた名称は、扱いに配慮が要ります。権利の問題としては商標の名義の話に帰着しますが、それ以上に感情の問題が絡むためです。
売り手にとって、自分や家族の名前を冠した看板が新しい経営のもとでどう扱われるかは、譲渡先を選ぶ判断材料にもなります。買い手としては、名称を残す意向であればその旨を早い段階で伝え、逆に将来的に統一する可能性があるなら、含みのある言い方をせず正直に伝えるほうが誠実です。
実務上の整理としては、名称の使用について前オーナーとの間で書面を交わしておくことが有効です。会社が引き続き使用できること、前オーナー側は同一・類似の名称で競合する事業を行わないこと(競業避止の範囲)、といった点を明確にします。名称は残すが前オーナーが同じ名前で同業を始めるという事態は、双方にとって不本意な結果を招きます。
売り手側の視点も含めたブランドの扱いは「M&A後、社名・屋号・ブランドはどうなるのか」で詳しく扱っています。
継続使用を決めたあとの実務
名称を残すと決めたら、次は表示の整合を取る作業です。法人としての表示と、ブランドとしての表示が食い違っていると、取引先や顧客に混乱を与えます。
- 契約書・請求書——法人名の表記を正確にし、屋号を併記する場合の様式を統一する
- 看板・車両・作業着——更新時期に合わせて順次対応する。急いで一斉に変える必要はない
- ホームページ・SNS——運営主体の表示、会社概要の記載を更新する
- 製品・パッケージ——在庫を使い切る前提で切替時期を設計する
- 登録商標の表示——権利の状況に合わせた適切な表示にする
変更のコストは、資材の在庫を無駄にしないタイミングを選ぶことで大きく抑えられます。看板や印刷物の更新は、統合初期の優先事項ではありません。急がずに、更新サイクルに乗せるのが実務的です。
一方で、法令上の表示義務にかかわる部分——許認可に関する掲示、特定商取引に関する表示など——は、内容が事実と異なる状態を放置できません。名義変更の手続きとあわせて確認してください。「許認可・契約の名義変更」もご参照ください。
商標を「管理する」体制をつくる
買収後は、取得した名称を管理する仕組みを社内に置きます。中小企業では、商標の更新期限を誰も管理しておらず、気づいたときには権利が消滅していた、という事態が起こり得ます。
管理台帳には、登録番号、名称、指定商品・役務、権利者、登録日、次回更新期限、担当者を記載します。更新期限は、契約書の更新期限と同じ台帳で管理すると抜けが減ります。期限管理の考え方は「契約書の棚卸しと更新期限の管理」で整理しています。
あわせて、新しいサービス名や商品名を立ち上げる際の社内手続きも決めておきます。名称を決めてから権利関係を調べるのではなく、候補段階で調査を行い、問題がなければ出願するという順序を標準にすると、後戻りがなくなります。
ブランドは、買収した事業の価値のうち、決算書に表れにくい部分を担っています。名称の継続使用を「そのまま使えるはず」で済ませず、権利として確かめ、管理する対象として扱うことが、統合後の事業価値を守ることにつながります。
よくあるご質問
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