本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。株式譲渡の決済日、いわゆる譲渡日は、当事者の予定が空いている日に置けばよいというものではありません。この一日をどこに置くかで、決算の締め方、給与と社会保険の事務、賞与の負担、許認可の手続き、従業員への開示の段取りまでが変わります。日程は「都合」ではなく「逆算」で決まるというのが実務の原則です。本稿では、譲渡日を決めるときに仲介者が確認する項目と、その順番を整理します。当日の段取りそのものは「決済当日の資金と書類」、締結日と決済日を分ける判断は「サイニングとクロージングを分ける判断」を併せてお読みください。

譲渡日は「空いている日」ではなく「揃った日」

日程の相談を受けたとき、最初に返す言葉を決めておくと迷いません。「ご予定の空いている日をうかがう前に、動かせない手続きを先に並べさせてください」です。譲渡日は、次の三つがすべて揃った最初の営業日にしか置けません。

  • お金が動かせる日:買い手の資金が実行され、銀行の窓口で送金が完了できる平日であること
  • 書類が揃う日:株主総会や取締役会の承認、譲渡承認の通知、登記に必要な書類が出そろっていること
  • 手続きが済む日:許認可の届出、取引先の同意、経営者保証の解除の見通しが立っていること

そのうえで、複数の候補日が取れるときに初めて、決算期や給与の区切りといった「置き場所の良し悪し」を検討します。順番を逆にして「来月末にしましょう」と先に言ってしまうと、後から手続きの都合で動かすことになり、当事者の不安を増やします。決済当日は銀行の営業時間内に着金を確認する必要があるため、金融機関の休業日、月末・五十日(ごとおび)の混雑、大型連休の前後は避けるのが無難です。

決算期との関係

譲渡日を決算期のどこに置くかで、事務の重さが変わります。期の途中で株主が代わっても会社の事業年度がそのまま続くのが原則ですが、実務上は次のような差が出ます。

置き場所起きること留意点
期末日の直後(期首)旧体制の成績が一期分で締まり、新体制の成績が翌期からきれいに分かれる決算作業と譲渡手続きが重なりやすい。税理士の繁忙期と重ならないか確認する
期の途中一つの事業年度に旧体制と新体制が混ざる買い手の社内報告で「いつからの数字が自分たちの成績か」が説明しにくくなることがある
期末日そのもの締めと引渡しが同じ日になる棚卸・実査・決算処理と決済が重なり、当日の事務負担が最も重い

買い手が上場企業やそのグループの場合は、買い手側の決算期・四半期の締めも効いてきます。「四半期末をまたがない日にしてほしい」といった要望が出ることがあるため、日程の希望は早い段階で双方に確認しておきます。また、役員退職慰労金を支給する案件では、支給の時期が損金算入の期に関わるため、譲渡日とあわせて税理士に確認する必要があります(「役員退職慰労金の決議と支払い」参照)。

給与・社会保険・賞与の区切り

見落とされやすいのがここです。株式譲渡では従業員の雇用はそのまま続きますが、会社の実務担当者にとっては「いつから誰の指示で処理するのか」が変わります。

  • 給与の締め日と支給日:締め日の直後に譲渡日を置くと、旧体制で計算した給与を新体制で支払う形になり、確認の手間が増えます。支給日の直後に置くほうが事務は素直です
  • 社会保険・労働保険:株式譲渡では会社そのものは変わらないため、被保険者の資格に変更は生じないのが原則です。ただし役員が入れ替わる場合は届出が必要になります。取り扱いは社会保険労務士にご確認ください
  • 賞与:支給日が近い時期に譲渡日を置くと、「今回の賞与は誰の判断で、どの原資から出るのか」という論点が必ず出ます。支給額の決定が済んでいるか、引当がされているかを事前に確認し、契約上の取り扱いを明確にします
  • 年末調整・住民税:年末や年度替わりに近い時期は、経理担当者の作業が集中します。会社の事務負担も日程の判断材料に入れてください

賞与は、金額そのものより「言っていたのに出なかった」という受け止めが従業員の動揺につながります。譲渡日が賞与支給日の前になるなら、支給の方針を契約前に文章で確認しておくことが、結果として承継後の定着を助けます。

許認可・契約・届出の更新時期

許認可を必要とする業種では、更新の時期と譲渡日の関係を先に調べます。株式譲渡であれば許認可は会社に付いたまま残るのが原則ですが、役員の変更に伴う届出が必要なもの、変更の届出に期限があるものがあります。更新申請の直前に役員が入れ替わると、申請書類を作り直すことになりかねません。

  • 許認可の有効期限と、次回更新の申請開始日
  • 役員変更に伴う届出の要否と、その提出期限
  • 主要な取引契約・賃貸借契約・リース契約の更新日と、支配権の変更に関する条項の有無
  • 補助金の交付決定を受けている場合の、事業者変更に関する取り扱い
  • 保険・共済の契約更新日(役員を被保険者とするものは名義の整理が要ることがあります)

これらは仲介者が判定するものではなく、所管官庁と専門家に確認して日程表に落とすのが役割です。確認の依頼を出す順番は「所要日数の長いものから」。詳しくは「許認可とチェンジオブコントロールの事前確認」を参照してください。

日程を決める順番と、動かすときの作法

実務では次の順番で組み立てます。上から順に埋め、埋まらない欄があるうちは日付を確定させません。

確認すること確認先
1買い手の資金実行がいつ可能か買い手・金融機関
2許認可・届出・同意取得に要する日数所管官庁・専門家・契約相手方
3株式の集約、名義・議事録の整備に要する日数売り手・司法書士
4決算期・給与・賞与の区切り売り手の経理・税理士
5従業員への開示日と、その前後の予定売り手・買い手
6当事者と専門家の出席可能日全員

日程が動くこと自体は珍しくありません。問題になるのは、動くと分かってから伝えるまでの時間です。遅れる可能性が見えた時点で、理由・新しい見込み・それによって変わること(資金の準備、従業員への開示日、関係者の予定)の三つを揃えて双方に共有してください。とくに従業員への開示日を先に社内で伝えている場合、譲渡日の変更は現場の不安に直結します。開示日は譲渡日が確定してから逆算して決める、という順番を崩さないことが安全です。

本稿は仲介実務の一般的な型を解説するものです。契約条項の解釈や個別案件における法的な適用は弁護士に、税務の取り扱いは税理士にご確認ください。アドバイザーは法律事務・税務代理を行いません。

よくあるご質問

A.月末が有利だと決まっているわけではありません。決算や給与の区切りと合わせやすい一方で、金融機関の窓口が混み合い、経理の月次処理とも重なります。判断の順序は、まず資金の実行日・許認可・書類の準備といった動かせない手続きを並べ、その中で取れる候補日から、事務の負担が軽い日を選ぶという流れです。
A.株式譲渡では会社そのものは存続しますので、事業年度は原則としてそのまま続きます。一つの事業年度の中に旧体制と新体制の期間が混ざる形になります。会計・税務上の処理や、役員報酬・退職慰労金の取り扱いについては期の区切りが影響することがありますので、具体的な取り扱いは税理士にご確認ください。
A.案件によりますが、譲渡日の前日または当日に説明の場を設ける形が多く採られます。早すぎると確定前の情報が社外に伝わる恐れがあり、遅すぎると登記や取引先への挨拶の動きから先に知られてしまうためです。いずれにせよ、開示日は譲渡日が固まってから逆算して決めてください。
A.支給額の決定が済んでいるか、引当がされているか、原資をどちらが負担するかの三点を先に確認します。従業員にとっては金額そのものより、言われていたものが出るかどうかが問題になります。契約上の取り扱いを文章で確認し、説明の場でも触れられるようにしておくと、承継後の動揺を小さくできます。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら