本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。中小企業では、会社の資産とオーナー個人の資産が完全には分かれていないことがよくあります。オーナーの自宅が社宅になっている、事業で使っている土地がオーナー個人の名義である、会社からオーナーへの貸付金が残っている、といった状態です。これらは、譲渡の話が具体化した段階で必ず論点になります。決めるのが遅れるほど価格の話に巻き込まれ、話がこじれます。ここでは、何が出てくるか、選択肢は何か、いつ決めるかを整理します。
会社と個人が混ざるのは、特別なことではない
オーナー経営の会社では、会社と個人の線引きが実務上あいまいになることがあります。会社の事業のために個人の資産を使う、あるいは個人の生活に会社の資産が使われる。どちらも、株主と経営者と生活者が同じ一人であれば、自然に起きます。
ところが、株式を譲渡すると会社の持ち主が変わります。そのとき、どこまでが買い手の手に渡り、どこからがオーナーの手元に残るのかをはっきりさせておかないと、引渡しの後に困るのは双方です。買い手からすれば、事業に必要な土地が他人の名義のままでは安心して経営できません。売り手からすれば、私生活で使っているものが会社ごと渡ってしまっては困ります。
仲介者は、この話を公私混同の指摘としてではなく、整理の作業として持ち出します。「よくあることです。譲渡に向けて、どれを会社に残し、どれをお手元に戻すかを決めていきましょう」という入り方であれば、売り手も事実を話しやすくなります。責める言い方をした瞬間に話してもらえなくなり、結果として終盤で判明して双方が困ることになります。
よく出てくる項目と、それぞれの論点
| 項目 | よくある状態 | 主な論点 |
|---|---|---|
| 事業用の不動産 | 工場・店舗・本社の土地建物がオーナー個人の名義で、会社が賃借している | 買い手が買い取るのか、賃貸借を続けるのか。続けるなら賃料と期間、更新の条件 |
| 社宅・別荘 | オーナーや家族が住んでいる物件を会社が保有している | 会社から切り離すか、譲渡後も使えるようにするか |
| 車両 | オーナーや家族が使っている車を会社名義で保有している | 会社に残す車と、オーナーが引き取る車の仕分け |
| 保険 | オーナーを被保険者とする法人契約の保険がある | 契約者を変更して持ち出すか、会社に残して解約するか |
| 貸付金・借入金 | 会社からオーナーへの貸付、あるいはオーナーから会社への借入がある | 決済までに精算するか、価格の計算に織り込むか |
| 会員権・美術品など | 事業に使っていない資産が会社の帳簿に載っている | 買い手が引き継ぐ意味があるか。なければ事前に整理する |
| 親族の在籍 | 実際の勤務実態と報酬が対応していない場合がある | 譲渡後の処遇をどうするか。退任の時期と伝え方 |
この表は、受託の初期にそのまま売り手と一緒に埋めるための道具として使えます。一つずつ「これはどうなっていますか」と聞いていけば、売り手も思い出しやすく、抜けが減ります。
三つの選択肢|会社に残す・買い取る・貸す
切り分けの方法は、突き詰めると次の三つです。
- 会社に残す:事業に必要で、買い手も引き継ぐことを望むもの。価格の中に含まれる前提で話を進める
- オーナーが買い取る(会社から切り離す):私生活で使っているもの、事業に関係しないもの。決済までに会社から外し、譲渡対象を事業用の資産だけにする
- 賃貸借に切り替える・続ける:個人名義の事業用不動産などで、買い手が購入までは望まない場合。賃料・期間・更新・原状回復の条件を契約で固める
判断の軸は、「その資産がなければ事業が続かないか」です。続かないものは、買い取るか、長期の賃貸借で確実に使える形にします。口約束の賃貸借のまま譲渡すると、後に賃料の改定や退去をめぐって旧オーナーと買い手が向き合うことになり、双方にとって不幸です。関係が良いうちに、書面にしておくのが両者のためです。
賃貸借を続ける場合、仲介者が確認するのは次の点です。賃料が近隣の相場から大きく離れていないか、期間は事業計画に足りるか、中途解約の条件はどうか、相続が起きたときに誰が貸主になるか。最後の点は見落とされがちですが、買い手にとっては重要です。契約条項の具体的な設計は弁護士に確認してください。
いつ決めるか|方針は早く、確定は基本合意まで
時期の目安を置きます。
| 段階 | ここで済ませること |
|---|---|
| 受託・企業概要書の作成 | 項目を洗い出し、売り手の希望(手元に残したいもの)を聞く。概要書の数字が、切り分け後の姿で説明できる状態にする |
| 買い手への提示・トップ面談 | 譲渡対象に含むもの・含まないものを明示する。後から外すと、実質的な減額と受け取られる |
| 意向表明・基本合意 | 切り分けの方針を書面に落とす。賃貸借を続けるなら、その旨と大枠の条件まで触れておく |
| デューデリジェンス | 買い手側が実態を確認する。事前に整理してあれば、新たな指摘にはならない |
| 最終契約・決済 | 移転・精算を完了させるか、完了を決済の前提条件にする |
最も避けたいのは、価格の合意ができた後に譲渡対象から資産を外すことです。売り手に悪気がなくても、買い手には「聞いていた内容と違う」と映り、価格の再交渉に直結します。逆に、最初から「この土地は個人名義で、譲渡後は賃貸借を継続する想定です」と開示されていれば、買い手はその前提で条件を組み立てます。開示の早さが、そのまま条件の安定につながります。
価格と税務への跳ね返りを、先に説明しておく
切り分けは、金額の話と切り離せません。会社から資産を外せば、会社の純資産は変わります。貸付金を精算すれば、会社の資産構成が変わります。これらは価格の計算に反映されるのが通常です。価格調整の考え方は「価格調整の実務」を参照してください。
仲介者が売り手に伝えるべきことは、次の三つです。
- 手元に残すものがあれば、その分は価格に反映される:「会社から外したうえで、価格も変わらない」ということは基本的にありません
- 外し方によって税金の扱いが変わる:会社から個人へ資産を移す方法や価格の付け方によって、課税関係が変わります。具体的な適用は税理士にご確認ください
- 決めるのが早いほど、選べる方法が多い:決済の直前になると、手続きが間に合う方法だけしか選べなくなります
三つ目は特に実感を持って伝えてください。税務上の検討には時間が要り、選択肢の比較には資料が要ります。早い段階で税理士に相談していただければ、売り手にとって無理のない形を選べる余地が残ります。仲介者は、その相談が早く始まるように論点を整理して渡す役割です。
よくあるご質問
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