本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。「純資産がマイナスなのですが、それでも買い手はつきますか」。この問いに対して、経験の浅いうちは二通りの誤り方をします。一つは「難しいですね」と即断して、成立し得る相談を閉じてしまうこと。もう一つは「事業に魅力があれば大丈夫です」と安請け合いして、期待だけを上げてしまうことです。債務超過の会社の譲渡は成立することもあれば、そもそもM&Aの枠組みでは扱えないこともあります。本稿は、買い手側の再生局面の実務ではなく、相談を受ける側の初期対応に絞って、何を確かめ、どこで線を引き、何をどう説明するかを整理します。
数字を見る前に確かめる四つ
決算書を拝見する前に、口頭で確かめておくことがあります。ここを飛ばして数字だけ見ると、状況を読み違えます。
- 返済は約定どおり続いているか:延滞があるのか、条件変更(リスケジュール)をしているのか、正常に返済できているのか。ここで局面がまったく変わります
- 資金繰りはいつまでもつか:月次の入出金で、どのくらいの期間の余裕があるのか。残り時間が工程より短ければ、M&Aは間に合いません
- 保証と担保はどうなっているか:経営者個人の保証、自宅への担保設定、ご親族が保証人になっていないか
- 金融機関とどんな話をしているか:すでに相談されているのか、まだなのか。進め方の順序に直結します
四つ目は特に重要です。経営者が金融機関に一切相談しないまま譲渡を進めようとしている場合、その前提そのものを見直していただく必要があります。借入の返済や保証の扱いは、金融機関の関与なしには決まりません。
債務超過と資金繰りの行き詰まりは別のもの
相談の場で最初に整理すべきなのがここです。経営者も混同していることが多く、切り分けるだけで見通しが変わります。
| 状態 | 意味するところ | 初期対応の方向 |
|---|---|---|
| 債務超過だが返済は正常 | 貸借対照表上の話。事業は回っている | 通常の譲渡の枠組みで検討できる |
| 債務超過で条件変更中 | 返済条件を見直している | 金融機関の理解を前提に進める |
| 資金繰りに残り時間が少ない | 支払いが続かない見込み | M&Aの工程では間に合わない可能性が高い |
| 借入は多いが純資産はプラス | 投資の結果としての借入 | 通常の譲渡。借入の扱いを説明する |
純資産がマイナスであること自体は、譲渡の可否を決める要素ではありません。買い手が見るのは、その事業が生む利益と、引き継ぐ債務の中身です。当社の成功報酬の基準額は株式価値と負債総額の合計ですので、負債が多い会社ほど、費用の水準についても丁寧な事前説明が要ります。経営者向けの解説は「債務超過の会社は売却できるか」にまとめてあります。
期待値を上げすぎない説明の型
この局面の初期対応で、最も差が出るのが説明の仕方です。言ってよいことと、言ってはいけないことを分けておいてください。
| 言ってよいこと | 言ってはいけないこと |
|---|---|
| 純資産がマイナスでも成立した事例は一般に存在する | 御社なら買い手はつきます |
| 買い手が見るのは事業が生む利益と債務の中身である | この業種なら何倍で売れます |
| 工程には一般に半年から一年以上かかる | 急げば間に合います |
| 金融機関の理解が前提になる場面がある | 金融機関は同意するはずです |
| 成立しない可能性があること | (可能性に触れないこと) |
右側の表現は、どれも相手を安心させたい気持ちから出てきます。しかしこの局面の経営者にとって、裏切られたときの打撃は、断られたときよりはるかに大きい。成立しない可能性に先に触れておくことは、冷たい対応ではなく、相手が次の手を考える時間を残すことです。なお、当社が公表していない成約件数や成約率、業種別の倍率といった数値を、説明の裏づけとして使うことはありません。
金融機関との関係をどう扱うか
借入が多い会社の譲渡では、金融機関が実質的な当事者になります。ただし、仲介者が経営者の同意なく金融機関に接触することはありません。守秘の問題であると同時に、経営者と金融機関の関係に外部が割り込むことになるからです。
初期対応で整理するのは次の点です。
- いつ、誰から伝えるか:経営者から伝えるのが原則です。同席を求められた場合にのみ、同席します
- 何を伝えるか:検討を始めたという事実と、想定される工程まで。相手先の名前は、当然ながら開示しません
- 何を確認するか:債務の承継について、保証の解除について、担保の扱いについて。いずれも最終的には金融機関のご判断です
順序を誤って、金融機関が新聞やうわさで知るような事態になると、その時点で選択肢が大きく狭まります。情報の流れを設計することが、この局面の仲介者の中心的な仕事だと考えてください。
当社で受けられないとき、どこで線を引くか
相談を受けたすべてを受託するわけではありません。次のような場合は、受けないことがご本人のためになります。
- 資金繰りの残り時間が、工程に対して明らかに短い:間に合わないと分かっていて着手することは、時間を奪うことになります
- 債権者との調整が中心になる局面:再生の枠組みが必要な場合、扱う専門領域が異なります
- 会社の実態が把握できない:帳簿と実態の乖離が大きく、確かめる手段がない場合
受けない場合でも、そこで終わりにしないでください。公的な相談窓口として、各都道府県の事業承継・引継ぎ支援センターがあり、再生の局面では弁護士・公認会計士等の専門家が関与する枠組みがあります。どこに相談できるのかを示してから引く。これは案件の話ではなく、相談を受けた者としての責任の範囲です。受託の判断基準そのものは「受託するかどうかの判断基準」、再生局面の案件の進め方は「再生局面の案件」に整理しています。
よくあるご質問
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