本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。この仕事には、成果が出ない時期が必ずあります。面談は重ねているのに案件化しない、案件は動いているのに一件も着地しない、辞退が続く——原因は自分の能力だと思い込みやすい時期ですが、実際は工程のどこかが詰まっているだけであることがほとんどです。ここでは、精神論ではなく数えて、切り分けて、直す手順を書きます。行動管理の設計は「自分のKPIを設計する」も併読してください。
成果が出ない時期は、必ず来る
まず構造を理解してください。M&Aの案件は、初回相談から成約まで半年から一年、長ければそれ以上かかります。つまり今日の行動の結果が出るのは、半年以上先です。この時間差があるため、成果は均等には出ません。数か月何も起きず、その後に複数が同時に動く、ということが普通に起きます。
この構造を知らないと、二つの誤りを犯します。
- 短期の成果で自分を評価する:今月の成約がないことを能力の証拠だと考えてしまう
- やり方を頻繁に変える:結果が出る前に手法を変え、何が効いたのか分からなくなる
正しい向き合い方は、結果ではなく工程を見ることです。工程のどこで止まっているかが分かれば、打ち手は具体的になります。
まず数える|工程を分解して、どこで止まっているかを見る
感覚で悩まず、直近三か月の数字を出してください。工程は次のように分けます。
| 工程 | 数えるもの | 止まっているときの意味 |
|---|---|---|
| 接点 | 新しく話をした経営者・紹介元の数 | そもそも母数が足りていない。量の問題 |
| 初回相談 | 実際に面談できた数 | 接点はあるが、会う理由を作れていない |
| 案件化 | 資料をお預かりし、進める合意に至った数 | 面談での説明・信頼づくりに課題がある |
| 打診 | 買い手候補に当てた数 | 資料作成が遅い、候補の選定が進んでいない |
| 面談・条件協議 | 買い手との面談に進んだ数 | 資料の説明力、候補の当て方に課題 |
| 着地 | 基本合意・成約に至った数 | 条件調整、期待値管理、進行管理に課題 |
数えると、たいてい一か所に極端な落ち込みが見つかります。そこだけを直すのが立て直しの原則です。全部を同時に直そうとすると、何も変わりません。
詰まりの種類別の処方
接点が足りない
量の問題です。ここは工夫より、時間の確保が効きます。週の中に新規接点の枠を固定し、繁忙を理由に削らないこと。紹介元(税理士・金融機関など)との関係づくりは効果が出るまで時間がかかるので、短期の反応で判断しないでください。進め方は「新規開拓の実務」にまとめています。
面談はできるが案件化しない
説明の問題であることが多いです。次を点検してください。
- 立場・秘密保持・費用の三点を、面談の最初に伝えているか
- 聞くばかりで、相手が知りたいこと(流れ、期間、費用、進め方)を伝えていないのではないか
- 次の一歩が具体的か。「またご連絡します」で終わっていないか
- 面談後48時間以内に、約束を一つ返しているか
案件化しない理由の多くは、相手の意思が固まっていないことです。無理に契約へ運ばず、判断材料を渡して待つ。この期間を「成果ゼロ」と数えないでください。
案件は動くが着地しない
進行管理と期待値の問題です。工程ごとの期限が曖昧、宿題の所在が不明、条件の優先順位が整理されていない。この三つを疑ってください。止まっている案件を一覧にし、それぞれ「誰のボールか」「次の期限はいつか」を書き出すと、動かせるものが見つかります(「案件の優先順位づけ」)。
辞退が続く
候補の当て方か、資料の説明力か、条件そのものかを切り分けます。辞退理由を並べ、共通点があれば資料か条件、ばらばらなら候補選定を見直します。共通点が「キーマン依存」「取引先の集中」のような事業側の懸念に寄っている場合は、候補を増やすより、その懸念に対する説明を資料に足すほうが効きます。逆に「領域が違った」「地域が合わない」が並ぶなら、候補の選び方そのものを見直す局面です。
どれにも当てはまらないと感じるとき
数えても詰まりが特定できないときは、案件の絶対数が少なすぎる可能性があります。工程ごとの通過率は、母数が小さいほど偶然に振れます。数か月分をまとめて見る、あるいは先輩の数字と工程の形を比べてみると、自分の癖が見えてくることがあります。
週次で行動の質を上げる型
立て直しは、一日の頑張りではなく週の型で進みます。週に一度、30分だけ次の四つをやってください。
- 1. 数える:今週の工程別の行動量を記録する
- 2. 一件だけ振り返る:上手くいかなかった面談を一件選び、どの発言で流れが変わったかを具体的に書く
- 3. 一つだけ変える:来週試す変更を一つに絞る。複数変えると何が効いたか分からない
- 4. 誰かに見せる:上司や先輩に、記録を見せて意見をもらう。自分の癖は自分では見えない
4がとりわけ重要です。成果が出ない時期に、人は相談を避けます。しかし外から見れば原因が明白なことは多く、一度の同席や記録の共有で解決することがあります。同行して観察する側の視点は「先輩の同行で何を見るか」も参考になります。
心を保つ|比べない、意味を見失わない
最後に、続けるための考え方を三つ。
- 他人と比べない:案件は規模も工程も違い、成果の出方に時間差がある。比べるなら三か月前の自分の行動と記録の質を比べる
- 自分で動かせるものだけを管理する:相手の事情、タイミング、社内稟議は動かせない。動かせるのは、接点の数、返信の速さ、資料の質、記録の精度
- 目の前の一人に集中する:成果が出ないときほど、目の前の経営者への対応が雑になる。逆で、この時期こそ一件を丁寧に運ぶ。丁寧さは必ず後から返ってくる
そして、意味を見失わないこと。この仕事で扱っているのは、経営者が数十年かけて築いた会社と、そこで働く人たちの生活です。成約という結果が出ていない期間も、経営者の相談に乗り、選択肢を整理し、判断材料を渡している。それ自体に価値があります。成果は後からついてきますが、目の前の相手に対する誠実さは、今日しか積めません。
もし数か月続けても改善しないときは、一人で抱えないでください。案件の組み合わせや配分、担当領域を変えるだけで動き出すことがあります。1年目の全体像は「M&Aアドバイザー1年目の過ごし方」に整理しています。