本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。初回相談で決算書3期分と会社案内を預かった。さて、どこから読むか——この最初の1時間の使い方で、その後の案件の進み方が変わります。新人がやりがちなのは、いきなり損益計算書の細部に入り込み、2時間かけて何も分からないまま終わることです。ここでは、通読して論点の地図を作るための読む順番と、抜き出すべき論点、記録の残し方を型にします。決算書そのものの読み方は「決算書を読む力を身につける」、預かった資料の整理は「受領資料の整理術」を先に押さえてください。

最初の1時間の目的は「評価」ではなく「論点の地図」

最初の1時間でやるべきことは、値付けでも分析でもありません。この会社を進めるうえで、どこが論点になるかの一覧を作ることです。地図さえできれば、深掘りは後からいくらでもできます。逆に地図がないまま深掘りを始めると、重要でない科目に時間を溶かします。

1時間後に手元にあるべき成果物は、次の三つだけです。

  • 論点シート:確認が必要な事項を10〜20行。事実と推測を分けて書く
  • 追加資料リスト:優先順位つきで一括依頼できる形
  • 会社の一言要約:何で稼ぎ、誰に依存し、どこが不安かを3行で

この三つがあれば、次の面談で経営者と噛み合った会話ができます。逆にこれがないまま面談に行くと、前回と同じ話を繰り返すことになり、相手の信頼を失います。

15分×4の読む順番

読む順番は決めておいてください。毎回同じ順で読むと、抜けが減り、速くなります。私が教えているのは15分×4の型です。

1本目(15分):会社の形

登記事項証明書、定款、株主名簿、組織図、会社案内。ここで見るのは誰の会社で、何をしている会社かです。設立時期、目的、役員構成と任期、株主の人数と分散状況、名義株の気配、種類株式や譲渡制限の定め、支店・関係会社の有無。株が分散していれば、それだけで案件の難易度と進め方が変わります。ここを最初に見る理由は、後の全部の判断がここに乗るからです。

2本目(15分):数字の骨格

決算書3期分。細部には入らず、次だけを見ます。売上・粗利・営業利益の3期推移、総資産と純資産、借入金の残高と推移、現預金、そして3期で大きく動いた科目。動いた科目に印をつけるだけで、後の質問がほとんど出そろいます。役員報酬、保険料、地代家賃、雑費など調整候補の科目も、この段階で拾っておきます。

3本目(15分):人と現場

従業員名簿、就業規則、給与台帳の要約、許認可、拠点情報。従業員数と平均年齢、勤続年数の分布、社会保険の加入状況、就業規則の有無と最終改定日、許認可の名義と有効期限。キーマンが誰かを推定するのもここです。取締役が高齢で、実務を担う人が一人しかいない会社は、承継の設計が変わります。

4本目(15分):約束ごと

主要契約書、賃貸借契約、リース、借入契約、保証関係。見るのは、チェンジ・オブ・コントロール条項の有無、契約期間と更新条件、解約条項、個人保証と担保の状況、名義が個人か法人か。ここは見落とすと後で必ず効いてくる箇所です。読み切れなくても、契約書の一覧と各契約の相手方・期間だけは表にしておきます。

必ず拾う論点|会社の形・数字・人・約束

1時間の通読で、次の項目はどの案件でも必ずチェックします。チェックリストとして手元に置いてください。

領域拾う論点なぜ効くか
会社の形株主の分散、名義株の可能性、譲渡制限、種類株式全株取得できるかが案件の成否を左右する
会社の形関係会社・不動産保有会社の有無譲渡範囲の設計(会社分割や事業譲渡の要否)に直結する
数字3期で大きく動いた科目、利益の質(一過性か継続か)価値の目線と、買い手の質問の中心になる
数字借入残高、返済予定、個人保証の有無株主に届く金額と、オーナーの関心事に直結する
数字役員報酬・保険・私的経費など調整候補調整後の収益力を説明するための材料になる
キーマン依存、後継者不在の状況、高齢化買い手の最大の関心事の一つ。引継ぎ設計が必要
社会保険・残業の運用、就業規則の整備状況労務は中小企業で発見事項が出やすい領域
約束チェンジ・オブ・コントロール条項主要取引先との契約が切れると価値の前提が崩れる
約束許認可の名義・承継可否スキーム選択(株式譲渡か事業譲渡か)を左右する
約束不動産の所有者(法人か個人か)、賃貸借の条件オーナー個人資産との切り分けが必要になる

なお、この段階で問題だと決めつけないことが大切です。株が分散していることも、規程が整っていないことも、中小企業では珍しくありません。論点は「確認すべきこと」であって、欠点のリストではありません。

論点シートの残し方|事実と推測を分ける

論点シートは一枚のシートで管理します。列は次のとおりです。

No / 領域(会社の形・数字・人・約束) / 事実(資料に書いてあること) / 推測(そこから考えられること) / 確認方法(誰に何を聞くか) / 優先度 / ステータス。

ここで最も重要なのが、事実と推測の列を分けることです。新人の記録を見ると、「取引先が1社に集中していて危険」と一行で書いてあることがあります。これでは、後から読んだ人に「危険」が資料に書いてあった事実なのか、書き手の判断なのか分かりません。事実は「上位1社で売上の◯割」、推測は「集中度が高く、買い手の関心事になる可能性」と分けます。この習慣は、後にIM作成やDD対応でそのまま効いてきます。

推測の列には、必ず「確認方法」を書きます。確認できない推測をシートに残すと、いつの間にか事実として扱われ、誤った説明の元になります。

1時間後にやること|確認質問の設計

地図ができたら、次は経営者への確認です。ここで質問の出し方を誤ると、相手を身構えさせます。三つの原則があります。

  • 指摘ではなく確認の形にする:「◯◯が問題です」ではなく「◯◯が3期で大きく動いていますが、背景を教えてください」
  • 一括で出す:思いついた順に小出しにしない。優先度をつけて一度に渡す
  • 答えやすい順に並べる:事実確認から入り、答えにくい論点(株の分散、個人保証、労務)は面談の中盤以降に置く

追加資料の依頼も同じタイミングで一括にします。「今すぐ必要(価値の目線を出すため)」「次回まで(提案資料の作成に必要)」「DD段階で可」の三段に分けて渡すと、経営者は取りかかりやすくなります。依頼の順番と負担配慮は「資料依頼の出し方」にまとめました。

最後に、通読の速さは経験で確実に上がります。最初は1時間で4本を読み切れなくて構いません。大事なのは順番を変えないことと、毎回同じ論点シートに落とすことです。同じ型で20社も読めば、資料をめくった瞬間に手が止まる場所が分かるようになります。買い手候補への説明で聞かれることを先回りする感覚は「想定質問への備え方」で補ってください。

本稿は仲介実務の一般的な型を解説するものであり、個別案件における法的・税務的判断は、弁護士・税理士等の専門家にご確認ください。

よくあるご質問

A.細かい分析は後で構いません。最初の1時間は、どこを深く見るべきかを決めるための時間です。3期の推移で大きく動いている科目、金額の大きい科目、説明のつかない科目に印をつけるところまでで十分で、そこから先は確認質問を出してからのほうが効率的です。分析を先にすると、前提を誤ったまま深追いすることになります。
A.一度に、優先順位をつけて出してください。思いついた順に小出しに依頼すると、経営者の負担が増え、対応が遅れます。1時間の通読を終えてから、必要な資料を「今すぐ必要」「次回まで」「DD段階で可」の三段に分けて一括で依頼するのが実務の型です。依頼の出し方は資料依頼の記事にまとめています。
A.指摘ではなく確認として持っていってください。資料だけでは背景が分からないことが多く、こちらの推測を前提に話すと相手を身構えさせます。「この科目が3期で大きく動いていますが、何かありましたか」と事実を尋ねる形にすれば、経営者は答えやすく、こちらの理解も正確になります。

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プラチナパートナーズでは、資料の読み込みから提案・成約までを担うアドバイザーを募集しています。M&A業界が初めての方も、実務の型から丁寧に教えます。
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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら