「案件がなければ何も始まらない」——M&A仲介の実務で最初に直面するのが、ソーシング(売り案件の発掘)です。本稿は、これから仲介の現場に立つ方、あるいは仲介会社への入社を検討している方に向けて、売り案件がどこから来るのか、紹介元とどう関係をつくるのか、断られたときに何を残すのかを、先輩が後輩に教えるつもりで具体的に書きます。派手なテクニックはありません。誠実に、速く、記録を残す。それがソーシングの型です。
売り案件はどこから来るのか|4つの系統を押さえる
中小企業の売り案件は、大きく4つの系統から生まれます。それぞれ性質が違うので、「どこに時間を使うか」を決める前に、系統ごとの特徴を理解してください。
- 士業(顧問税理士・公認会計士・弁護士)からの紹介——オーナーの財務と家族構成を最もよく知る立場からの紹介です。信頼に基づく紹介なので、初動で失礼があると、案件だけでなく紹介元との関係ごと失います。
- 金融機関からの紹介——取引先の後継者不在を日常的に把握しています。紹介ルートは支店ごと・担当者ごとに異なり、個人ではなく組織としての付き合いになります。
- 既存顧客・成約オーナーからの紹介——「あの人に頼んでよかった」という経験が、そのまま紹介になります。最も質の高い系統ですが、成約の積み重ねが前提です。
- 自社の情報発信からの直接相談——ウェブサイトのコラム・書籍・寄稿などを読んだオーナーからの問い合わせです。時間はかかりますが、紹介料が発生せず、オーナー本人が能動的に動いている点が強みです。
後継者不在率は50.1%(帝国データバンク2025年調査)、2025年のM&A件数は5,000件超で2年連続の過去最多(レコフデータ)です。売り手候補は確かに存在します。それでも「案件が来ない」としたら、経営者が相談する相手として、まだ自分たちが選ばれていないだけです。ソーシングとは営業ではなく、「相談される側に回る」ための活動だと捉えてください。
紹介元との関係づくり|「案件をください」と言わない
士業や金融機関との関係づくりで、新人が最初にやりがちな失敗が、「案件があればご紹介ください」と頼むことです。相手の立場で考えてみてください。顧問先の大切な経営者を、まだ実力の分からない人に紹介する理由はどこにもありません。
先に「役に立つ」を積む
紹介は、信頼の貸し借りです。先にこちらが何かを渡していなければ、紹介は起きません。具体的には、税理士が顧問先から受けた「会社を売るとしたらいくらくらいか」という相談に、簡易的な考え方を整理して返す。金融機関の担当者が抱えている「後継者がいない取引先」について、M&A以外の選択肢(親族内承継・従業員承継・廃業の手順)も含めて相談に乗る。こうした小さな貢献の積み重ねが、いつか「あの人なら任せられる」に変わります。
紹介元が困らない進め方を約束する
紹介元が最も恐れるのは、紹介した経営者から「強引に契約を迫られた」と苦情を受けることです。ですから、初回面談は紹介元の同席を歓迎する、面談後は必ず紹介元に報告する、経営者が迷っているときは急がせない——この3点を最初に約束してください。中小M&Aガイドライン(第3版・令和6年8月)が支援機関に求める姿勢とも一致しますし、何より紹介元が次の紹介を出しやすくなります。
報告は「結果」より「経過」を
紹介を受けたら、面談の翌営業日までに「お会いしました。現時点ではこのようにお考えです。次はこう進めます」と短く報告します。成約したときだけ連絡が来る相手より、経過を共有してくれる相手のほうが、紹介元は安心して次を託せます。誰に相談すべきかという経営者側の視点は「M&Aは誰に相談すべきか」に整理していますので、紹介元がどう見られているかを知る材料にしてください。
アウトバウンドの型|手紙を誠実に使う
紹介と情報発信だけで案件が十分に来るようになるまでには、時間がかかります。その間を埋めるのがアウトバウンド、つまりこちらから経営者に接触する活動です。ただし、ここで手法を誤ると、会社の評判を傷つけます。
やってはいけないこと
- 「御社を買いたい買い手がいます」と、実在しない買い手を仄めかす
- 一方的に電話をかけ続ける、断られても架け直す
- 経営者の自宅に押しかける、家族に接触する
- 「今すぐ売らないと損をする」と不安を煽る
これらは短期的に面談が取れたとしても、その経営者は二度と相談してくれませんし、業界全体の信頼も損ないます。当社では、こうした接触を一切行いません。
誠実なアウトバウンドの型
当社が推奨するのは、手紙を中心とした「情報提供型」の接触です。対象企業を業種・地域・事業内容から丁寧に選び、なぜその会社に手紙を書くのかを自分の言葉で説明し、事業承継やM&Aに関する客観的な情報(税制の期限や制度の変更点など)を添えて、「ご興味があればお返事ください」で締める。返信がなければ追わない。この型は反応こそ多くありませんが、返事をくれた経営者は「自分の意思で」動いた人なので、その後の対話の質がまったく違います。
対象の選定には、公開情報(法人の登記情報・許認可の公表情報・業界団体の名簿・ウェブサイト)を使い、個人情報の取得経路に疑義のあるリストは使いません。手紙の文面は上長のチェックを必ず通し、会社としての品質を保ちます。
初動の速さが案件の質を決める
どの系統から来た案件でも、共通して重要なのが初動の速さです。経営者が「相談してみようか」と思う瞬間は、長く続きません。紹介元から連絡を受けたその日のうちにお礼と日程調整の連絡を入れ、面談は1週間以内を目安に設定します。
速さとは、拙速という意味ではありません。面談日までに、会社の公開情報(ウェブサイト・登記・業界動向)を調べ、想定される論点(後継者・業績・株主構成)を整理し、初回面談で何を聞くかを準備する——この準備を短時間でやり切ることが「速い」ということです。初回面談の設計は「初回面談のヒアリング設計」で詳しく解説しています。
逆に、最初の連絡が2週間後になった案件は、たとえ面談できても「あまり熱心ではない会社」という印象から始まります。ソーシングでの信用は、最初の連絡までの時間で決まると考えてください。
断られた案件の記録が翌年の案件になる
ソーシングの現実として、接触した経営者の多くは「今は考えていない」と答えます。ここで重要なのは、断られたこと自体ではなく、断られたときに何を記録するかです。
残すべき記録
- 断られた理由(口にした理由と本当の理由は違うことがある。両方を書く)
- 経営者の年齢・後継者候補の有無・会社の状況(聞けた範囲で)
- 「いつなら考えるか」に対する答え(「息子が戻ってきたら」「今の大型案件が終わったら」など)
- 次に連絡してよいか、連絡するならいつ・どの手段が望ましいか
- 紹介元への報告内容と、紹介元の反応
経営者の事情は変わります。「息子が継ぐ」と言っていた会社で、数年後に息子が別の道を選ぶこともあります。そのとき、以前に丁寧な対応をした担当者のことを、経営者は覚えています。記録は、社内の案件管理台帳など、担当者が変わっても引き継げる形で残してください。個人のメモや頭の中にしかない情報は、退職とともに消えます。
再接触の作法
記録に基づく再接触は、年に1〜2回、経営者にとって役に立つ情報(制度改正・税制の期限など)を添えて行います。「その後いかがですか」だけの連絡は、相手の時間を奪うだけです。また、断られた案件の情報も秘密保持の対象です。社外はもちろん、社内でも必要な範囲を超えて共有しないことは、「M&Aの秘密保持」で解説しているとおり、仲介者の基本動作です。
ソーシング活動の週次チェックリスト
最後に、ソーシングを習慣にするためのチェックリストを挙げます。週に一度、自分で確認してください。
- 紹介元(士業・金融機関)に、今週「案件依頼以外」の連絡を1件以上したか
- 紹介を受けた案件について、翌営業日までに紹介元へ経過報告をしたか
- 新しく接触した経営者への初回連絡は、当日中に済ませたか
- 断られた案件の記録(理由・時期・次回連絡の可否)を台帳に残したか
- 手紙の文面は上長チェックを通したか。対象リストの出所を説明できるか
- 既存の成約オーナーに、近況伺いの連絡をしたか(紹介依頼ではなく)
- 自分の担当領域について、経営者に話せる新しい情報(法改正・業界動向)を1つ仕入れたか
ソーシングは、成果が出るまでに時間がかかります。しかし、誠実に、速く、記録を残す型を守れば、案件は必ず「相談」という形で来るようになります。当社では、この型を新人のうちから徹底して身につけていただきます。