M&Aの交渉では、正式な契約の前後にいくつもの書面が行き交います。秘密保持契約、意向表明書、基本合意書、最終契約。そのあいだに「覚書」「念書」「確認書」と題した書面が交わされることがあります。
よくある場面は、基本合意の後に条件の一部だけ先に決めた、調査の進め方を確認した、支払いの時期だけ変えた、といったものです。軽く扱われやすい書面ですが、内容によっては正式な契約と同じ効力を持ちます。題名ではなく中身で決まります。
題名では決まらない
まず押さえておくことは、「覚書」という題名に法律上の決まった意味は無いということです。契約書と題していても拘束力の無い条項はありますし、覚書と題していても拘束力のある合意はあります。
判断されるのは、書いてある内容です。
- 当事者が何を約束したかが特定できるか
- 約束する意思が読み取れるか(「努力する」「協議する」なのか「〜する」なのか)
- 条件が整っているか(金額、時期、対象)
したがって、「覚書だから大丈夫」という理解は危険です。逆に、拘束されたくない部分には「法的拘束力を有しない」と明記します。基本合意書で価格の条項に拘束力を持たせない形が使われるのと同じ考え方です。
後の契約との関係を書いておく
覚書を交わすと、書面が複数になります。そこで問題になるのが、内容が食い違ったときにどちらが優先するかです。
最終契約には通常、「この契約がこれまでの合意に置き換わる」という条項(完全合意条項)が入ります。これがあると、それ以前の覚書は効力を失います。
ところが、覚書で決めたことを最終契約に書き忘れると、その約束は消えてしまいます。例えば「前の経営者は3年間顧問として残る」と覚書で決めたのに、最終契約に書かなかった場合です。
したがって、覚書を交わしたら、最終契約に引き継ぐかどうかを1件ずつ確かめます。残す場合は最終契約に書き込むか、覚書を存続させる旨を明記します。
逆に、最終契約まで残したくない暫定の取り決めなら、有効期間を書いておくのが確実です。
よく使われる場面
実際に覚書が交わされる場面を挙げます。
調査の進め方。資料の提出の範囲、現地に入る日程、従業員への接触の可否。これは手続きの取り決めなので、拘束力を持たせることが多くあります。
条件の一部変更。基本合意の後に、価格の前提や日程を変える場合。ここは金額に直結するので、どの条項を置き換えるのかを明確に書きます。
クロージングの後の精算。在庫や売掛金の金額が確定した後に、差額を精算する取り決め。
不動産や個人資産の扱い。会社名義でない資産を、売るのか貸すのか。
従業員の処遇。雇用の維持、退職金の扱い。ただし書ける範囲には限りがあります(第三者である従業員の権利を当事者間の約束で変えられるわけではありません)。
口約束を書面にするとき
交渉の中では、言葉で決まっていくことがあります。「それは後で考えましょう」「そこは任せます」といったやりとりです。これを書面にするかどうかが、後の揉め方を決めます。
書面にしないと、記憶の違いが残ります。しかも、当事者が社長同士でも、社内で引き継がれる人は言葉を聞いていません。担当者が代わると、合意そのものが消えます。
一方で、全部を書面にすると、交渉が重くなります。実務的な線引きは次のようになります。
- 金額に影響するもの → 必ず書面
- 日程に影響するもの → 書面
- 第三者(従業員・取引先)に関わるもの → 書面
- 進め方の確認 → メールで足りることが多い
メールでも書面です。日付と当事者と内容が残れば、後から辿れます。重要なのは形式より、残っているかどうかです。
署名する人と、社内の手続き
覚書に署名する人が、その内容を決める権限を持っているかも論点です。
買い手が法人の場合、担当者が署名した覚書が会社を拘束するかどうかは、その人の権限によります。金額に関わる内容なら、社内の決裁を経ているかを確かめるほうが安全です。
売り手の側も同じです。株主が複数いる会社で、代表者が1人で決められない内容を覚書に書いても、実行できません。
加えて、仲介者やFAが覚書の当事者になるかどうかも確かめます。手数料や情報の扱いに関する覚書では、当事者が3者になることがあります。
印紙税の扱いも確認します。覚書の内容によっては課税文書に当たる場合があります。
残しておく形
最後に、実務として残しておく形を整理します。
1. 一覧を作る。いつ、誰と、何について、どの書面を交わしたか。交渉が長引くと書面が増えるので、一覧が無いと自分でも分からなくなります。
2. 拘束力の有無を書面ごとに記録する。どの条項に拘束力があるのかを、後から読み返せるようにします。
3. 最終契約の前に突き合わせる。一覧の各項目が最終契約に反映されているか、不要になったか、残すのかを確かめます。
4. 原本の保管場所を決める。経営者の机の中にしかない書面があると、引き継ぎで消えます。
書面の数が増えること自体は悪くありません。決まったことを残しているという意味です。問題は、どれが生きているのか分からなくなることです。契約の効力と印紙税の扱いは個別の判断になるため、弁護士・税理士に確認してください。