「その条件で進めましょう」と口頭で合意した。これは、どの程度確かなのか。書面にする段階と、それぞれの意味を整理します。
口頭の合意は、残らない
まず前提です。口頭で合意しても、後から証明できません。
相手に悪意がなくても、記憶は食い違います。「◯年間は雇用を維持する」と言ったつもりが、相手は「努力する」と聞いていた。
さらに、担当者が代われば、口頭の合意は存在しないのと同じになります。
したがって、合意したことは、その都度、何らかの形で残してください。
正式な契約書である必要はありません。議事録やメールでも、記録としての意味があります。
段階ごとの書面
M&Aでは、段階に応じた書面があります。
① 秘密保持契約(NDA)。情報を開示する前。
② 意向表明書。買い手が、条件の大枠を示す。通常、法的拘束力を持たせません。
③ 基本合意書。主要な条件について合意する。一部の条項に拘束力を持たせるのが通常です。
④ 最終契約書。すべてが法的拘束力を持ちます。
加えて、各段階の議事録があります。
それぞれの役割を理解して使い分けてください。
意向表明書の位置づけ
買い手が、検討の意思と条件の大枠を示す書面です。
記載されるのは、想定する価格(レンジ)、買収の方式、想定する日程、デューデリジェンスの範囲、前提条件など。
通常、法的拘束力は持たせません。「本書は法的拘束力を有しない」と明記されるのが一般的です。
したがって、意向表明を受けても、取引が確定したわけではありません。
ただし、相手の考え方を知る資料としては重要です。前提条件の書き方を見れば、どこで価格が動くかが分かります。
基本合意書で何を決めるか
ここが実務上の分岐点です。
拘束力を持たせない項目。価格、条件の詳細。デューデリジェンスの結果により変わり得るためです。
拘束力を持たせる項目。独占交渉権、秘密保持、費用の負担、有効期間、準拠法。
この区別を、必ず確認してください。「全体として拘束力を持たない」と書かれていても、特定の条項だけは例外とするのが通常です。
売り手として重要なのは、独占交渉の期間です。その間、他の候補と交渉できません。期間が長すぎないかを確認してください。
基本合意に何を書いておくべきか
売り手の立場から、書いておきたい項目を挙げます。
従業員の雇用と労働条件。期間を明記する。
売り手の引き継ぎ期間と処遇。
社名・ブランドの扱い。
役員退職金の支給。価格とセットで合意しておく。
クロージングの目標時期。
これらは拘束力がなくても、書いておく意味があります。
後から「そんな話はしていない」とならないためです。最終契約の交渉で、出発点になります。
メールでも記録になる
正式な書面でなくても、記録は作れます。
打ち合わせの後、その日のうちにメールを送ってください。
「本日は、ありがとうございました。以下の点で認識を共有したと理解しております。相違があればご指摘ください。」
そして箇条書きで、話した内容と決まったことを並べる。
相手が「相違ありません」と返せば、合意の記録になります。返事がなくても、異議を述べなかった事実は残ります。
この習慣だけで、後の争いの多くが防げます。
書面にしないまま進むと何が起きるか
実際に起きることを挙げます。
条件が後退する。デューデリジェンスの後、価格以外の条件も下がる。根拠がなければ、反論できません。
担当者交代で消える。前任者の口約束は、引き継がれません。
最終契約に入らない。「合意したはずの雇用維持の条項がない」。契約書に書かれていないものは、存在しません。
成約後に守られない。契約に書いていなければ、請求の根拠がありません。
「信頼関係があるから」で済ませないでください。相手の会社は続きますが、担当者も経営者も代わります。
最終契約書に反映されているか確認する
最も重要な確認です。これまでに合意したことが、最終契約書に入っているか。
基本合意で決めたのに、最終契約に書かれていない——これは実際に起こります。
したがって、合意事項の一覧を作り、最終契約書と突き合わせてください。
一つずつ、「この条項はどこに入っているか」を確認する。
入っていなければ、入れてもらってください。「基本合意で確認した内容です」と言えば、断る理由はないはずです。
署名の前が、最後の機会です。
弁護士に見てもらう段階
最後に、専門家を入れる時期です。
最終契約書は、必ず弁護士に見てもらってください。これは省かないでください。
基本合意書も、可能なら見てもらう価値があります。独占交渉の期間、費用の負担、拘束力の範囲。ここで不利な条項が入ると、後で効いてきます。
費用を抑えるなら、レビューだけを依頼するという頼み方があります。
「基本合意はまだ拘束力がないから」と軽く見ないでください。拘束力のある条項が混ざっています。契約書のレビューは誰に頼むかもご覧ください。