教材や書籍を制作・販売してきた会社の譲渡では、他の業種とは決定的に異なる論点があります。買い手が取得しようとしているものの中心が、工場でも店舗でも人でもなく、これまでに作り上げたコンテンツそのものだという点です。そしてコンテンツは、目に見える在庫と違って、「持っている」ことと「自由に使える」ことが一致するとは限りません。誰が作り、誰に権利があり、どこまでの使い方が認められているのか。この整理ができているかどうかが、評価とその後の交渉を大きく左右します。本稿では、教材・出版事業の譲渡をご検討の経営者様に向けて、コンテンツ資産の評価、著作権の帰属、利用許諾の範囲、在庫と返品の扱いという順に整理します。教室運営を中心とする事業の論点は「学習塾・教育事業のM&A」で扱っています。

教材・出版事業でM&Aが検討される背景

この分野から譲渡のご相談をいただく背景には、いくつかの共通した事情があります。

デジタル対応への投資が単独では重い

紙の教材で長く実績を積んできた会社ほど、電子配信、学習アプリ、動画講義といった形での提供を求められる場面が増えています。ところが、システムの開発・運用と、それを支える人材の確保は、既存の事業規模では負担が大きい。配信基盤や開発体制を持つ企業グループに入ることで、既存コンテンツを活かしながら展開できるという判断が働きます。

販路の変化

取次・書店を通じた流通に加え、直接販売、法人向けの一括採用、オンライン経由の販売など、届け方が多様になりました。どのチャネルにどれだけ力を入れるかの判断は、これまでとは別の経営資源を必要とします。

制作を担ってきた人の高齢化

編集者、執筆者、監修者。長年にわたって関係を築いてきた方々が同時に高齢化し、次の世代への引き継ぎが課題になっているという状況は珍しくありません。コンテンツは残っても、それを改訂し続ける人がいなければ、資産は少しずつ古びていきます。

経営者自身の承継

帝国データバンクの2025年調査では後継者不在率は50.1%とされ、この分野も例外ではありません。一方でレコフデータの集計によれば、2025年の日本企業が関わるM&A件数は5,000件を超え、2年連続で過去最多となりました。既に評価が定まったコンテンツを一括で取得できることは、ゼロから制作する場合に比べて時間の節約になりますから、買い手側の関心も継続しています。

コンテンツという無形資産は、どう評価されるのか

まず押さえておきたいのは、コンテンツの価値は「点数」では測られないということです。刊行点数が多くても、実際に売れ続けているのは一部という会社は少なくありません。買い手が見るのは、次のような視点です。

評価の視点買い手が確認すること
収益の集中度刊行物別の売上と粗利。上位の何点で売上の大半を占めているか
継続性毎年安定して売れる定番があるか。単年で終わる企画に依存していないか
改訂の必要性制度改正やカリキュラム変更で改訂が必要な内容か。改訂の体制と費用
権利の明確さ各コンテンツの権利が誰に帰属し、どこまでの利用が認められているか
採用の広がり法人・団体での継続採用の有無と、その更新実績
制作原版の状態編集データ、図版、写真の元データが揃い、再利用できる形で保管されているか

このうち買い手が最も重く見るのが、権利の明確さです。売上が立っていても、その商品を今後改訂して売り続けられるかどうかが確認できなければ、買い手は将来の収益をそのまま織り込めません。逆に、権利関係が整理され、必要な確認が済んでいるコンテンツは、そのまま収益を生む資産として評価されます。企業価値の考え方全般は「企業価値評価(バリュエーション)の方法」もあわせてご覧ください。

「原版」が残っているかは意外に大きい

過去の刊行物について、印刷所にしかデータが残っていない、担当編集者の個人パソコンにしかない、そもそも紙の版下しかない——こうした状態は、譲渡後の展開速度に直結します。デジタル化を前提とする買い手にとって、作り直しの手間は取得価格を下げる理由になります。制作データの所在を一覧にしておくだけでも、交渉での説得力は変わります。

著作権の帰属を確認する|社内制作と外部委託

教材・出版事業のデューデリジェンスで、必ず時間をかけて確認されるのがこの部分です。一般論として、コンテンツを誰がどのような立場で作ったかによって、権利の扱い方が変わってきます。

社内の従業員が制作した場合

会社の業務として、会社の発意に基づいて従業員が制作したものについては、会社が著作者として扱われる仕組みが法律上設けられています。ただし、その適用にあたっては勤務の実態や社内の定めなどが関わりますので、就業規則や職務発明・職務著作に関する社内規程の整備状況が確認の対象になります。

外部の執筆者・監修者に依頼した場合

こちらがより慎重な確認を要する領域です。制作費や原稿料を支払ったという事実だけで権利が自社に移るとは限らず、実際にどう扱われるかは契約の定めによります。実務上よく見られるのは次のような形です。

  • 権利そのものを会社が譲り受ける形にしている(その場合、どこまでの権利が対象かの確認が必要)
  • 権利は作り手に残したまま、会社が一定の範囲で利用させてもらう形にしている
  • 契約書がなく、発注書と請求書のやり取りだけで進めてきた
  • 口頭の合意しかなく、当時の担当者しか経緯を知らない

三番目・四番目の状態は決して珍しくありません。長く続けてきた会社ほど、初期の刊行物について書面が残っていないことがあります。この場合、買い手は「その商品を改訂して売り続けられるか」を判断できず、対象から外すか、価格を保守的に見積もるという対応を取りがちです。譲渡準備として、刊行物ごとに制作者と契約書の有無を一覧化し、書面が不足しているものについては早い段階で整理に着手することをおすすめします。知的財産の確認事項全般は「知的財産のデューデリジェンス」で解説しています。

引用・図版・写真・素材

本文だけでなく、掲載している図版、写真、イラスト、地図、データ、フォント、外部の文章の引用部分についても、それぞれ利用の根拠が確認されます。素材サービスから取得したものであれば、その利用条件が商業利用や再配布を含むか、電子版での利用が認められるかといった点が論点になります。

本記事は一般的な考え方を整理したものであり、著作権の帰属、契約条項の解釈、素材や引用の利用可否については、事案ごとに判断が分かれます。断定的な結論を示すものではありません。実際のご検討にあたっては、著作権や出版契約に詳しい弁護士、および顧問税理士など専門家にご確認いただくようお願いいたします。

利用許諾の範囲と、二次利用・デジタル化の可否

権利の帰属と並んで確認されるのが、「どこまでの使い方が認められているか」という範囲の問題です。権利を譲り受けていない場合はもちろん、譲り受けている場合でも、対象範囲の定め方によって使える幅は変わります。

範囲を規定する主な項目

  • 媒体——紙の書籍・教材に限るのか、電子版、音声、動画、アプリ内での利用まで含むのか
  • 期間——期限の定めがあるか。自動更新か、更新時に条件の再交渉が生じるか
  • 地域——国内に限るのか、海外での販売や翻訳を含むのか
  • 改変——内容の改訂、抜粋、再構成が認められているか。改訂時に元の作り手の確認が必要か
  • 再許諾——第三者に使わせることができるか。法人向けの一括提供や他社との共同展開に影響する
  • 対価——印税・使用料の算定方法、支払時期、電子版での取扱い、精算の実務

買い手が電子配信や学習システムへの組み込みを構想している場合、この「媒体」と「改変」の範囲が決定的な意味を持ちます。紙の出版に限った定めしかない古い契約が多数残っていると、買い手は取得後にあらためて権利者と調整する必要があり、その手間と不確実性が価格に反映されます。

ブランドと商標

シリーズ名、教材のタイトル、ロゴなどについて、商標の登録状況と名義を確認します。登録が会社ではなく創業者個人の名義になっているケースは実際にあり、譲渡にあたっては会社へ移す整理が必要になることがあります。

執筆者・監修者との関係そのものを引き継げるか

書面の整理とは別に、実務として重要なのが人との関係です。長く執筆や監修をお願いしてきた方々に、譲渡後も継続していただけるか。改訂を続けるためには、この関係の維持が欠かせません。どなたに、どの段階で、どのように説明するかは、必ずアドバイザーと事前に設計してください。伝える順番を誤ると、事業の中核が揺らぐことがあります。

在庫・返品・流通の扱い

無形資産が中心とはいえ、紙媒体を扱う事業では在庫と返品が財務上の論点になります。

在庫の評価

刊行物ごとに、在庫数量、経過年数、直近の販売ペースを整理します。制度改正やカリキュラム変更で内容が古くなった在庫は、簿価のままでは評価されません。棚卸資産の評価に関する一般的な考え方は「在庫・棚卸資産の評価とM&A」で整理していますので、あわせてご覧ください。

返品の見込み

流通の仕組み上、出荷したものが後から戻ってくる可能性がある場合、その見込みが財務にどう反映されているかが確認されます。過去の返品率の推移と、引当の考え方を説明できるようにしておくと、買い手は必要な調整を自分で見積もることができます。

受注済み・未納品の案件

学校や法人からの採用が決まっており、納品や制作がこれからという案件について、前受金の有無と、納品までに要する原価を整理します。これらは譲渡実行日をまたぐと精算の対象になりやすい項目です。

個人情報を含む顧客データ

直接販売や会員制の仕組みを持っている場合、購入者情報の取扱いが論点になります。取得時の利用目的、保管方法、アクセス権限の管理状況は、譲渡前に自社で点検しておくべき事項です。確認の観点は「個人情報のデューデリジェンス」で整理しています。

まとめ|権利を整理した会社から、選ばれていく

教材・出版事業のM&Aで問われるのは、コンテンツの点数でも過去の実績でもなく、そのコンテンツを譲渡後も改訂し、展開し続けられる状態にあるかという一点です。そしてそれは、刊行物ごとの権利の所在、契約書の有無、利用の範囲、制作データの保管状況といった形で、一覧に落とし込むことができます。

ご準備として取り組んでいただきたいのは次の三つです。第一に、刊行物ごとに制作者・契約書の有無・利用範囲をまとめた一覧を作ること。第二に、書面が不足しているものについて、優先度の高い商品から整理に着手すること。第三に、編集データや図版の元データの所在を確認し、社内で管理できる状態に移すこと。いずれも時間のかかる作業ですが、これらが揃っている会社は、交渉の場で自社の主張を裏づけられます。M&A全体の進み方は「M&Aの流れ」でご確認いただけます。

当社は相談料・着手金・月額報酬をいただかず、成功報酬型で伴走しています。売ると決めていない段階でも構いません。今のコンテンツ資産が買い手にどう映るのか、何を整えれば評価が変わるのか——その見立てからご一緒させてください。

よくあるご質問

A.制作費を支払ったという事実だけで権利が自社に移るとは限らず、実際にどう扱われるかは契約の定めによって変わります。外部への委託では、権利を譲り受ける形にしているのか、一定の範囲で使わせてもらう形にしているのかで、譲渡後に使える範囲が大きく異なります。契約書が残っていない、口頭の合意しかないという場合は、譲渡準備の一環として早めに整理を始めることをおすすめします。具体的な判断は事案ごとに分かれますので、著作権に詳しい弁護士にご確認ください。
A.紙で完結していること自体が不利になるわけではありません。ただし買い手がデジタル展開を前提にしている場合、その利用が権利の面で可能かどうかが評価を分けます。過去の契約で紙の出版に限った範囲しか定めていない場合、あらためて権利者との調整が必要になることがあります。編集データや図版の元データが残っているかどうかも、展開の速さに直結する確認事項です。
A.在庫や返品があること自体は事業の性質として理解されますが、それが数字として説明できるかどうかが問われます。刊行物ごとの在庫数量と経過年数、返品の実績と傾向、廃棄の方針が整理されていれば、買い手は必要な評価減を見積もったうえで判断できます。逆にこれらが不明なままだと、買い手は最も保守的な前提を置かざるを得ず、結果として価格に響きます。

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権利の整理から譲渡の設計まで。相談料・着手金・月額報酬はいただきません。基本合意時の中間金と成功報酬については料金体系をご覧ください。
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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら