PMIの議論は、組織や文化といった大きな話から始まりがちです。しかし現場で最初に来るのは、もっと具体的な期日です。最初の給与支払日は、待ってくれません。クロージングが月の途中であれば、その月の給与計算は数週間後に迫っています。本稿では、買収から最初の給与日までに必ず片づける業務を、順番に整理します。統合全体の進め方は「PMIの進捗管理」をご覧ください。

株式譲渡なら、雇用も社会保険もそのまま続く

まず前提の確認です。株式譲渡の場合、会社という法人格は変わりません。雇用契約の当事者は引き続きその会社ですから、従業員の雇用は自動的に継続し、社会保険の被保険者資格も切り替わりません。転籍手続きも、資格取得届の出し直しも不要です。

変わるのは株主と、多くの場合は代表者です。したがって手続きの中心は、会社の代表者・役員に関するものと、実務を誰がどう回すかに集約されます。事業譲渡の場合はまったく異なり、従業員は個別の同意を得て転籍する扱いになりますので、混同しないでください。

この違いは「株式譲渡と事業譲渡の違い」で整理しています。以下は株式譲渡を前提に述べます。

代表者の変更に伴う届出

代表取締役が交代する場合、次の届出が生じます。期限が短いものがありますので、クロージング前に担当を決めておきます。

届出提出先目安
代表取締役の変更登記法務局変更から2週間以内
健康保険・厚生年金の事業所関係変更(訂正)届年金事務所変更から5日以内
労働保険の名称・所在地等変更届労働基準監督署変更から10日以内
雇用保険事業主事業所各種変更届ハローワーク変更から10日以内
異動届出書(代表者変更)税務署・都道府県・市町村速やかに

登記が完了しないと、他の届出に必要な履歴事項全部証明書が取得できません。登記を先に、それ以外を後にという順序になります。社会保険労務士に依頼している会社であれば、クロージング日を事前に伝えておけば滞りなく進みます。

給与計算を、誰がどう回すか

実務上いちばん詰まりやすいのがここです。中小企業では、給与計算を特定の一人が担っていることが少なくありません。経理担当者、あるいは社長の配偶者が長年やってきた、という例もあります。

確認すべきは次の点です。

  • 使用しているソフトと、そのライセンス名義・ログイン情報
  • 手当・控除の計算ルール(就業規則や賃金規程に書かれていないものがないか)
  • 締め日と支払日、振込データの作成手順と銀行の操作権限
  • 住民税の特別徴収の納付先と金額
  • 担当者本人が退職予定かどうか

とくに最後が重要です。創業家の関係者が給与計算を担っていて、譲渡と同時に退く場合、引き継ぎの猶予は数週間しかありません。デューデリジェンスの段階で誰が担当かを把握し、クロージング前に手順書を作ってもらうのが確実です。

銀行口座と振込権限

給与の振込は、会社の口座から行います。株式譲渡では口座はそのまま継続しますが、ネットバンキングの管理者権限と電子証明書は、多くの場合これまでの代表者に紐づいています

代表者が交代すると、銀行側の手続きが済むまで振込操作ができなくなることがあります。給与日が近い時期にクロージングを設定する場合は、銀行の手続きに何営業日かかるかを事前に確認してください。金融機関によっては、届出印の変更や新しい代表者の本人確認に1〜2週間を要します。

間に合わない見込みであれば、初月に限り従来の権限で振り込む段取りを、前代表者と合意しておく方法もあります。「当日なんとかする」が最も危険な領域です。

あわせて、経費精算・仕入先への支払い・税金の納付といった、給与以外の出金も同じ権限で動いています。給与日だけを見て安心せず、月内に予定されている出金を一覧にして、それぞれ誰が実行できるのかを確認してください。支払いが1件遅れるだけで、取引先の信用に響きます。

年末調整と、期をまたぐ論点

買収の時期によっては、年末調整が視野に入ります。株式譲渡であれば、その年の給与支払者は一貫して同じ法人ですので、年末調整は通常どおりその会社が行います

ただし実務担当者が交代している場合、扶養控除等申告書や保険料控除証明書の回収・保管が中途半端になりがちです。前任者がどこまで進めていたかを、書面で引き継いでください。

あわせて、退任する役員の役員退職金がある場合は、退職所得の受給に関する申告書の受領と源泉徴収の処理が必要になります。金額が大きくなりやすく、処理を誤ると後から是正の手間が生じます。税理士と、支給時期・金額・源泉徴収額を事前に確認しておいてください。

まとめ|最初の給与日から逆算する

買収初月にやることを整理します。

  • 株式譲渡なら雇用も社会保険もそのまま。手続きの中心は代表者の変更
  • 登記を先に、社会保険・労働保険・税務の届出を後に
  • 給与計算の担当者・ソフト・計算ルールを、クロージング前に把握する
  • ネットバンキングの権限移行にかかる営業日数を、銀行に確認する
  • 年末調整・役員退職金の処理を、税理士と事前に詰める

PMIの最初の1か月は、理念の話をする時間ではなく、止まると困る業務を止めない時間です。ここが乱れると、従業員は「この会社は大丈夫か」と感じます。逆に、給与が1円の狂いもなく期日どおりに振り込まれれば、それだけで大きな安心になります。関連する実務は「PMIの経理・システム統合」もご覧ください。

よくあるご質問

A.株式譲渡では雇用契約の当事者である法人が変わらないため、個別の同意は不要です。ただし法的に不要であることと、説明が不要であることは別です。従業員への説明は、時期と伝え方を設計して丁寧に行ってください。
A.健康保険・厚生年金の事業所関係変更届は変更から5日以内、労働保険と雇用保険は10日以内が目安です。いずれも代表者変更の登記が完了していることが前提になりますので、登記のスケジュールから逆算してください。
A.使用ソフトとログイン情報、手当・控除の計算ルール、締め日と支払日、振込データの作成手順、住民税の納付先、社会保険料の控除タイミングです。書面の手順書に加えて、可能であれば1サイクルを一緒に回して確認するのが確実です。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら