M&Aの案件は、初回のご相談から成約まで半年から一年ほどかかるのが一般的です。短距離の仕事ではありません。ここで問題になるのは、成果が出ないことではなく、期間が長いことそのものです。集中は落ちますし、体調も生活も一年のあいだに変わります。成果が出ない時期の立て直しは「成果が出ない時期の立て直し」で扱いました。本稿はその手前で、案件が動いているのに長いという状況を扱います。当社の募集要項は採用情報をご覧ください。
長さの正体|案件は、待ち時間でできている
一年という期間の大半は、こちらが動いている時間ではありません。相手の時間です。
- 買い手の社内検討・稟議・取締役会
- 金融機関の審査
- 決算を待つ期間
- 専門家による調査とその報告
- 依頼者ご自身が考えておられる時間
ここを理解しておかないと、「自分が何もしていない」という感覚に飲まれます。実際には待つことも工程です。ただし、待つことと放置することは違います。待ち時間に何を置くかで、案件の質と自分の状態の両方が変わります。
待ち時間に置くべきものは決まっています。想定される質問への備え、次の局面の資料の準備、代替案の検討、そして依頼者への定期連絡。とくに最後は落ちやすい。進展がない週こそ連絡を入れる、というのは依頼者のためでもあり、自分が案件から離れないための仕掛けでもあります。
期間の見通しをご本人と共有しておくことも効きます。最初に「おおよそこのくらいかかります」とお伝えしてあれば、途中の沈黙が不安に変わりにくい。スケジュールの説明は「想定スケジュールの立て方」で扱っています。
時期ごとに、負荷のかかり方が違う
一年を一様に走ろうとすると崩れます。局面ごとに負荷の質が違うことを知っておきます。
| 時期 | 負荷の質 | 置くべきこと |
|---|---|---|
| 受託〜資料整理 | 作業量が多い | 体力を使う時期。段取りを前倒しする |
| 打診〜反応待ち | 結果が出ない不安 | 連絡の頻度を落とさない。次の候補の準備 |
| トップ面談〜意向表明 | 短期間に集中 | 他案件の予定を先に空けておく |
| 調査(DD) | 拘束が長い・相手が多い | 質問の管理を仕組みにする。個人の記憶に頼らない |
| 条件の詰め〜最終契約 | 精神的な緊張が最も高い | 判断を一人でしない。社内で通す |
| 決済後 | 緊張の反動 | 休む。振り返りは記録を取ってから |
見落とされやすいのが最後の行です。成約の直後に反動が来ます。張り詰めていたものが切れて、次の案件に手がつかない。これは異常ではなく、想定しておくべき反応です。決済の翌週に新しい案件の初回面談を入れない、といった置き方で吸収できます。
逆に、いちばん長く続くのが二行目の「反応待ち」です。ここが数か月に及ぶこともあります。結果が出ない期間を、結果以外のもので測る必要があります。打診先の理解が深まったか、資料の説明力が上がったか、依頼者との関係が保てているか。測れるものを自分で決めておきます。
続けるための、具体的な置き方
精神論では一年はもちません。仕組みで支えます。
- 週の始めに、案件ごとの「今週やること」を一つだけ決める——長期の案件は、やることが無限にあるように見えて、実は今週動かせることは少ない。一つに絞ると手が動きます
- 予定の入っていない時間を、先に確保する——考える時間、資料を作る時間。後から埋まる前に置きます
- 記録を都度残す——半年前のやりとりは覚えていません。記録がないと、後で同じ確認を依頼者にすることになり、信頼を損ないます
- 睡眠を削らない——判断の質が最初に落ちます。判断が鈍っているサインは「自分の判断が鈍っているサイン」を参照してください
- 案件の話を持ち帰らない工夫——守秘義務があるため、家族にも話せません。だからこそ、社内に話せる相手を持つことが要ります
- 終わりの見えない日に、終わった工程を数える——工程表を見返すと、進んでいることが目に見えます
五つ目は、この仕事に固有の負荷です。誰にも話せないことを、長期間ひとりで抱える。これは性格の問題ではなく、構造の問題です。守秘義務の範囲内で相談できる相手が社内にいることが、唯一の解になります。守秘義務が生活に及ぶことについては「守秘義務は生活にも及ぶ」で扱っています。
体調については、当たり前のことしか言えません。睡眠と、食事と、動く時間。この三つが崩れると、まず連絡が雑になり、次に判断が雑になります。依頼者に影響が出るのは、自覚するより先です。
担当を一人にしない|個人の持久力に賭けない
ここまでは個人の話ですが、一年を個人の持久力だけで走らせる設計になっているなら、それは組織の問題です。
- 案件の状況を、担当以外も把握している——体調を崩したときに引き継げる。引き継ぎは「担当交代の引き継ぎ」で扱っています
- 定期的に状況を話す場がある——一人で判断し続けない。長期の案件ほど、視野が狭くなります
- 休める前提で工程を組む——重要な局面の日程を、休みが取れない形で並べない
- 抱えている件数を把握している——長期案件を複数持つ負荷は、件数以上です
- 急がせる進め方をしない——短い期限で決断を求める設計は、依頼者にとって不利益であると同時に、担当者を消耗させます
最後の点は、当社が方針として明示しているものです。ご契約やご決断を急がせません。これは依頼者のための方針ですが、同時に、担当者が確認と相談の時間を取れるようにするための方針でもあります。急がせる進め方は、短期的には数字になるかもしれませんが、長期の案件では必ずどこかで破綻します。
当社は少人数で、役員が現場に立っています。担当が抱えている案件の工程と負荷が同じ場で見えていること、迷ったその日に相談できることを前提に設計しています。
まとめ|一年を走るのは、速さではなく設計
要点を整理します。
- 期間の大半は相手の時間。待つことは工程だが、放置とは違う
- 待ち時間には、備え・準備・代替案・定期連絡を置く
- 局面ごとに負荷の質が違う。決済後の反動まで見込んで予定を組む
- 反応待ちの時期は、結果以外の指標を自分で決めて測る
- 週の始めに案件ごとの「今週の一つ」を決める。記録は都度残す
- 話せないことを抱える負荷は構造的なもの。社内に相談相手を持つ
- 一年を個人の持久力に賭けない。担当を一人にせず、急がせる進め方をしない
長い案件を走り切った担当者が持っているのは、体力ではなく設計です。途中で息を継げる形にしてあったから、最後まで同じ密度で伴走できた。依頼者から見える良さは、最後の局面での丁寧さに表れます。そこに体力を残しておくことが、この仕事の自己管理だと考えています。