本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者に向けた実務教材です。貸借対照表の資産のうち、デューデリジェンス(DD)で最も指摘が出やすいのが棚卸資産と売掛金です。どちらも「帳簿に載っている額が、そのまま現金になるとは限らない」科目だからです。ここで問われるのは、アドバイザーが監査をすることではなく、後で指摘される点を先に把握し、正直に示しておくことです。本稿では、何を見るか、どこで止めるか、見つかったときにどう扱うかを型にします。

なぜ資料をつくる前に見るのか|後から動くと価格の話になる

在庫や売掛金の論点は、DDで発見されるとほぼ必ず価格の話に変わります。滞留在庫が見つかれば評価の減額が議論され、回収不能の売掛金が見つかれば実質純資産の修正が持ち出されます。同じ事実でも、先に示してあれば前提として織り込まれ、後から出てくると「約束と違う」という話になります。

もう一つの理由は、売り手の納得です。DDで初めて「この在庫は評価できない」と言われると、オーナーは強く反発します。長年かけて積み上げた資産を否定されたように感じるからです。事前に一緒に確かめて整理しておけば、同じ指摘でも受け止め方がまったく違います。DDでの指摘への対応は「DD指摘事項への対応」を参照してください。

ただし、確かめるのは買い手の代わりに検証するためではありません。売り手が自社の実態を正確に説明できる状態をつくるためです。この目的を外すと、作業が過剰になり、オーナーの負担だけが増えます。

在庫で見る四点|数量・滞留・評価・実地棚卸

在庫については、次の四点を順に確かめます。

見ること資料気づくこと
実地棚卸をしているか棚卸表、実施の記録実施していない、または一部のみなら、帳簿在庫の精度に幅がある
滞留の状況品目別の在庫年齢、入出庫の履歴何年も動いていない品目が、金額でどれだけあるか
評価の方法評価方法の届出、過去の評価減の有無評価方法が一貫しているか、評価減を行った実績があるか
回転期間の推移3期分の在庫と売上原価回転が伸びていれば、滞留が増えている可能性が高い

実務では、倉庫や工場を実際に見せていただくのが最も早い確認です。埃をかぶった棚、梱包の日付、置きっぱなしの仕掛品は、資料には表れません。現地を見る際の記録の残し方は「現地写真・図面の使い方」にまとめています。

業種によって論点は変わります。食品や医薬では期限、アパレルでは季節性、建設では未成工事支出金の中身、機械では仕掛品の進捗。その業種で在庫が滞留する理由を知っておくと、聞くべきことが決まります。

売掛金で見る四点|年齢・回収サイト・集中・相殺

売掛金は、次の四点です。

  • 年齢表(エイジング):発生からの経過期間別の残高。取引条件を超えて残っているものがどれだけあるか
  • 回収サイト:主要取引先ごとの締めと支払の条件。実際の入金日と条件が一致しているか
  • 集中度:上位取引先への偏り。一社の遅延が資金繰りに直結する構造かどうか
  • 相殺・値引きの慣行:請求額と入金額に差が出る取引がないか。差の処理が記録されているか

年齢表が作られていない会社も多くあります。その場合は、期末残高の主要先について、入金の実績を数か月分たどるだけでも実態が見えます。全件を洗う必要はありません。

長期滞留が見つかったときに大事なのは、回収不能と決めつけないことです。工事の検収待ち、条件交渉中、相手先の支払サイトが長いなど、事情がある場合があります。事実を聞き取り、金額と理由を並べて示すところまでがアドバイザーの仕事です。貸倒処理の要否や税務上の取扱いは、税理士にご確認いただく領域です。

どこで止めるか|アドバイザーは監査人ではない

ここが本稿で最も重要な線引きです。アドバイザーは、監査人でも鑑定人でもありません。確かめる範囲を広げすぎると、時間が尽き、オーナーの負担が増え、そのうえ責任を負えない領域に踏み込みます。

アドバイザーが行うこと行わないこと(専門家・買い手の領域)
資料の整合を確かめ、差異の理由を聞き取る実地棚卸の立会いによる数量の検証
滞留・長期未回収の金額と理由を一覧にする評価減の金額を決めること、貸倒の可否の判断
現地を見て、資料と印象の差を記録する在庫の時価や不動産の鑑定評価
論点を資料に明記し、専門家につなぐ会計処理の修正、税務上の判断

判断の目安は、「買い手が同じ資料を見たときに、同じ疑問を持つか」です。同じ疑問を持つ論点は、こちらで先に整理して示します。そこから先の検証は、買い手のDDと専門家が行います。先回りして評価額を決めてしまうと、後で数字が動いたときに説明ができません。

DDの範囲がどう決まるかは「買い手DDのスコープ調整」、売り手側の準備は「売り手のDD準備支援」を参照してください。

見つかったときの扱い|資料に書き、説明の順番を決める

滞留在庫や長期未回収が見つかったら、次のように扱います。

  • 金額と理由を並べる:「◯年以上動いていない在庫が帳簿上いくら、うち理由が説明できるものがいくら」
  • 評価は断定しない:いくらで評価すべきかは書かない。事実と、会社としての方針(評価減を検討中など)を書く
  • 今後の予定を書く:期末までに整理する予定があるか、処分の見込みがあるか
  • 実質純資産への影響として説明する:価格の議論に直結する項目であることを、算定の説明と同じ場で伝える

オーナーへの伝え方も重要です。「この在庫は価値がありません」ではなく、「買い手はこの部分について必ず質問します。先に整理して、こちらから説明できるようにしましょう」と、段取りの話にします。実際、動いていない在庫にも事情があることは多く、それを説明できるかどうかで受け取られ方が変わります。

そして、資料に書いた以上、後から数字を書き換えないことです。整理が進んで金額が変わったら、改訂日を記して差し替え、変更点を相手に伝えます。同じ資料の異なる版が出回ると、それだけで信頼を失います。受領資料と作成資料の管理は「受領資料の整理術」を参照してください。

本稿は仲介実務の一般的な型を解説するものであり、個別案件における税務・法務・労務の適用は、税理士・弁護士・社会保険労務士等の専門家にご確認ください。

よくあるご質問

A.立会いによる数量の検証は、アドバイザーの役割ではありません。実務では、棚卸の実施状況を確認し、品目別の在庫年齢や回転期間の推移から滞留の有無を把握し、現地を見て資料と実際の印象に差がないかを記録します。そのうえで論点を資料に明記し、評価や会計処理の判断は専門家と買い手のデューデリジェンスに委ねます。範囲を広げすぎると、責任を負えない領域に踏み込むことになります。
A.全件を洗う必要はありません。期末残高のうち主要な取引先を絞り、その入金の実績を数か月分さかのぼって確認するだけでも、回収サイトと遅延の有無は把握できます。あわせて、請求額と入金額に差が出る取引(相殺や値引きの慣行)がないかを聞き取ります。把握した内容は、金額と理由を並べて資料に記載し、回収可能性の判断は専門家の確認にゆだねます。
A.評価額は書きません。書くのは、どれだけの期間動いていない在庫が帳簿上いくらあるか、その理由が説明できるものはどれか、会社として今後どう扱う方針かという事実です。評価減の金額を先回りして決めてしまうと、その後の検討で数字が動いたときに説明がつかなくなります。評価や税務上の取扱いについては、税理士等の専門家にご確認ください。
A.否定も肯定もせず、売れると考える根拠を具体的に伺います。引き合いがあるのか、加工すれば使えるのか、部品取りとして使えるのかで、資料への書き方が変わります。そのうえで、買い手は必ずこの部分を確認すること、事情を先に整理して示すほうが説明しやすいことをお伝えします。事実と会社の見解を分けて記載すれば、根拠のある主張として伝わります。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら