本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。最終契約を締結してからクロージングまでの期間は、案件で最も地味で、最も落とし穴の多い局面です。決めるべきことは決まっており、あとは条件を満たすだけ。だからこそ、誰も見ていない項目が生まれ、決済の一週間前に「あれがまだでした」と発覚します。ここでは、前提条件をどう一覧化し、誰に割り当て、どう確認するのかを整理します。条項そのものの読み方は「SPAの主要条項の読み方」を、当日の段取りは「決済当日の資金と書類」を参照してください。

前提条件とは何か|満たされなければ実行されない

クロージングの前提条件(CP)は、それが満たされて初めて、当事者が譲渡を実行する義務を負うという条件です。満たされなければ、相手方は実行を拒むことができます。つまり、前提条件の管理を怠ると、契約は締結したのに決済ができないという事態が起こります。

前提条件は、売り手側が満たすもの、買い手側が満たすもの、双方に関わるものに分かれます。実務では次のように分類して管理します。

  • 状態の維持:表明保証がクロージング日時点でも真実であること、誓約事項を履行していること、重大な悪影響が生じていないこと
  • 手続の完了:株式譲渡の承認決議、株主総会・取締役会の決議、役員の辞任届の取得
  • 第三者の関与:重要な取引先の同意、金融機関の同意、賃貸人の承諾、許認可の承継・届出
  • 買い手側の準備:社内承認、資金調達の完了
  • 是正の完了:DDの指摘を受けて合意した是正事項の実施

このうち、実務で問題になるのは圧倒的に第三者の関与買い手側の準備です。どちらも、こちらの努力だけでは完結しません。だからこそ、早く着手し、進捗を可視化する必要があります。

契約書から一覧表を作る|列の設計と割り当て

最終契約のドラフトが固まった時点で(締結を待たずに)、前提条件の一覧表を作ります。私が使っている列は次のとおりです。

内容
No / 条項番号契約書のどこに書かれているか。後から必ず参照する
条件の内容契約文言ではなく、やることを平易に書く(例:賃貸人から店舗の賃貸借契約の承継について書面の承諾を得る)
担当売り手/買い手/仲介者/司法書士/税理士など、実際に動く人を書く
相手方第三者が関与する場合、具体的な相手先名
着手予定日 / 期限クロージング日から逆算して置く。相手方依存のものは余裕を大きく取る
ステータス未着手/依頼済/交渉中/完了
エビデンス充足を証明する書類の名称と保管場所
備考断られた場合の代替案、リスクの程度

作成のコツは、契約文言をそのまま転記しないことです。「表明保証が真実かつ正確であること」と書いても、誰も動けません。「クロージング日直前に、表明保証の各項目に変化がないかを売り手に確認し、変化があれば買い手に通知する(担当:仲介者、期限:決済3営業日前)」と、動作に翻訳してください。

作った一覧表は、締結後すぐに双方へ共有します。買い手側の条件についても、こちらから期限を確認します。買い手側の社内承認や融資実行は、催促しないと後ろにずれる——これは何度でも書いておきたい実務の真実です。工程管理の型は「案件の工程管理」も参考にしてください。

相手方に依存する条件の扱い|同意・承認・許認可

最も難しいのが、第三者の判断に依存する条件です。三つの型に分けて対処します。

取引先・賃貸人の同意

支配権の変動により契約を解除できる条項(チェンジ・オブ・コントロール条項)がある契約について、事前に同意を得る必要が生じます。ここでの論点は「いつ、誰が、どう伝えるか」です。早く伝えれば同意取得の時間は確保できますが、情報が広がるリスクが増えます。順番の設計は「取引先挨拶の進め方」で詳しく扱います。仲介者としては、同意が必要な契約を全件洗い出し、重要度で優先順位をつけるところまでを担い、実際の交渉は売り手と買い手が行う形が基本です。

金融機関の関与

借入契約に支配権の変動に関する条項がある場合、事前の連絡や同意が必要です。また、買い手が借入で資金調達する場合、その融資の実行がクロージングの前提になります。融資の承認日と実行日は必ず確認し、決済日との整合を取ってください。経営者保証の解除と併せて進めることになるので、「経営者保証の解除実務」も参照してください。

許認可

株式譲渡であれば法人格は変わらないため、多くの許認可はそのまま継続します。ただし、役員の変更に伴う届出が必要なもの、事前に届出や承認が必要なものがあり、業種によって手続と所要期間が大きく異なります。「株式譲渡だから許認可は関係ない」という思い込みが最も危険です。案件の初期に、その業種の許認可の一覧と手続を確認し、必要なら行政書士等の専門家に相談してください。許認可の考え方は「M&Aと許認可」で整理しています。

充足の確認とエビデンス|「口頭でOK」を残さない

前提条件が満たされたことは、書面で確認します。実務で使われるのがクロージング証明書や、条件ごとのエビデンスです。

  • 取引先の同意 → 同意書、承諾書(押印のあるもの)
  • 株式譲渡の承認 → 株主総会または取締役会の議事録
  • 役員の異動 → 辞任届、就任承諾書
  • 是正の完了 → 精算の証憑、届出の控え
  • 表明保証の維持 → 売り手が署名する証明書
  • 買い手の社内承認 → 決議の写しまたは承認済の連絡書面

ここで新人がやりがちなのが、電話で「大丈夫です」と言われたのを完了扱いにすることです。決済当日に書類が出てこず、進行が止まります。ステータスを「完了」にできるのは、エビデンスの現物(または写し)を確認したときだけとルール化してください。

また、エビデンスは決済当日ではなく前日までに揃えるのが原則です。当日に集めようとすると、押印漏れや記載間違いに対応できません。前日に全件を並べ、契約書の条項と突き合わせる時間を必ず確保してください。

直前に発覚しやすい抜けと、予防のための三つの節目

実務でよく発覚する抜けを挙げます。

  • 株主名簿・株券の不備:株券発行会社なのに株券が見当たらない、名義株の整理が終わっていない
  • 印鑑証明書の期限切れ:発行後3か月以内など要件がある書類の期限
  • 役員の辞任・就任の書類不足:登記に必要な書類が揃っていない、就任承諾書の押印漏れ
  • 賃貸借契約の承諾漏れ:本社は取れていたが、営業所や駐車場の分が抜けていた
  • リース契約・保証契約の確認漏れ:支配権変動条項がある契約を洗い出せていなかった
  • 従業員への開示日とクロージング日の不整合:開示前に情報が漏れる、あるいは開示が間に合わない
  • 買い手の融資実行日が決済日に間に合わない:着金のタイミングが合わない

予防のために、私は三つの節目を置いています。

  • 締結直後:一覧表を作成し、担当と期限を割り当てて双方に共有する
  • 決済の2週間前:全件のステータスを確認し、未完了のものに対して代替案を用意する。ここで決済日の再設定を判断する
  • 決済の前日:エビデンスを全件現物確認し、当日の段取り(場所・時間・出席者・書類・資金の流れ)を最終確認する

特に2週間前の確認が効きます。この時点で無理があると分かれば、決済日を後ろに動かすという選択ができます。前日に発覚すると、動かす以外の選択肢がなく、関係者全員の予定を組み直すことになります。日程の変更は、売り手・買い手・金融機関・司法書士・従業員開示のすべてに波及します。早く気づくことが、そのまま案件の品質です。

本稿は仲介実務の一般的な型を解説するものであり、個別案件における法的・税務的判断は、弁護士・税理士等の専門家にご確認ください。

よくあるご質問

A.最終契約のドラフトが固まった時点で、締結を待たずに作ります。締結後すぐに双方へ共有し、担当と期限を割り当てるためです。作成時のコツは、契約文言をそのまま転記せず、実際にやることに翻訳して書くことです。「表明保証が真実であること」ではなく「決済3営業日前に売り手へ変化の有無を確認し、変化があれば買い手に通知する」のように、担当者が動ける形にします。
A.そう思い込むのが最も危険です。株式譲渡では法人格が変わらないため多くの許認可は継続しますが、役員の変更に伴う届出が必要なもの、事前の届出や承認が必要なものがあり、業種によって手続も所要期間も大きく異なります。案件の初期にその業種の許認可を一覧化し、必要に応じて行政書士等の専門家に確認してください。手続の所要期間はクロージング日の設定にも影響します。
A.エビデンスの現物または写しを確認したときだけです。電話で「大丈夫です」と言われた段階で完了扱いにすると、決済当日に書類が出てこず進行が止まります。同意書、議事録、辞任届、届出の控えなど、条件ごとに必要な証憑を決めておき、決済の前日までに全件を揃えて契約書の条項と突き合わせてください。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら