本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。中小企業では、経営者本人や特定の社員に業務が集中していることが珍しくありません。取引先との関係も、技術も、価格の決め方も、その人の頭の中にある。これは長年その事業を支えてきた証でもありますが、買い手から見ると「その人が抜けたら何が残るのか」という不安になります。ここでは、属人性をどう分解し、引き継げる形に組み替えていくかを整理します。

属人性は欠点ではなく、扱うべき論点

最初に姿勢の話をします。属人性の高さを、売り手の前で「問題点」として語らないでください。長年一人で担ってきたからこそ事業が続いてきたのであり、それ自体は否定されるべきものではありません。

実務上の位置づけは、こうです。

  • 属人性は、買い手が承継後を想像しにくくする要因である
  • 想像しにくいと、検討が進まないか、条件が慎重になる
  • したがって、誰が何を担っているかを目に見える形にすることが、売り手の利益になる

この説明のしかたであれば、売り手も受け入れやすくなります。「属人化しているので評価が下がります」ではなく、「引き継げる形をお見せできれば、買い手が承継後を具体的に描けるようになります」と伝えてください。実際、整理の過程で業務の流れが可視化され、承継とは関係なく経営の役に立ったという声もあります。

なお、この作業には時間がかかります。譲渡を検討し始めた早い段階で着手するほど、選択肢は広がります。相談の初期に、この論点を伝えておくことも仲介者の役割です。

属人性がどこにあるかを分解する

「社長に依存している」という一言では対処できません。次のように分解します。

領域具体的な中身引き継ぎの難しさ
営業・顧客関係主要取引先の窓口、価格交渉、見積の判断関係の移転に時間がかかる。同行と段階的な引継ぎが要る
技術・現場加工や施工の勘所、トラブル時の判断文書化と実地の指導が要る。人によっては後継の育成に年単位
仕入・外注調達先との関係、単価の決め方、無理が利く関係関係が個人に紐づく場合、条件が変わる可能性がある
資格・許認可配置が義務づけられた有資格者退職で事業継続に影響する。代替の確保が必須
管理・経理資金繰りの判断、請求や支払の運用仕組み化しやすい領域。早く着手できる

分解すると、すぐ手を付けられる領域と、時間がかかる領域が分かれます。管理・経理は比較的短期間で仕組みに移せますが、技術や顧客関係は年単位になることもあります。買い手に説明する際も、この区別があると話が具体的になります。

また、経営者本人だけでなく、特定の社員に集中している場合もあります。その社員が承継後に残るかどうかは、買い手にとって重要な関心事です。本人の意向をどの段階で確認するかは、情報の管理と合わせて売り手と相談して決めてください。

引き継げる形にする準備

時間の余裕がある案件では、次のような準備が有効です。売り手の負担を考え、優先順位をつけて進めます。

  • 業務の棚卸し:誰が何を担当しているかを一覧にする。兼務や属人的な判断も書き出す
  • 主要取引先の情報を残す:取引の経緯、担当者、価格の考え方、注意点を文書にする
  • 判断基準を言葉にする:見積の出し方、受注可否の判断、値引きの範囲。数式にならなくても、目安として書けば足りる
  • 二人体制にする:重要な取引先や工程に、二人目を関与させる。同行や引き継ぎを日常業務に組み込む
  • 有資格者の確保:資格保有者の一覧と年齢構成を整理し、必要なら採用や資格取得の支援を始める
  • 権限の移譲を進める:決裁の一部を幹部に移し、実際に回ることを確かめる

すべてを完璧にする必要はありません。「手が付いている」という事実自体が、買い手の不安を下げます。取り組み始めた時期と現在の進み具合を説明できれば、承継後の見通しが立ちます。

準備にかける時間がない案件もあります。その場合は、次の章のように、現状を正確に開示したうえで、引継ぎの設計で補う進め方になります。

買い手の懸念に先回りする

属人性は隠せません。調査の段階で必ず明らかになります。先に開示するほうが、条件面でも信頼面でも有利です。用意すべき材料は次のとおりです。

  • 業務分担の一覧:誰が何を担当し、どこが一人に集中しているかを率直に示す
  • 引継ぎの計画案:誰が、何を、どの順で、どのくらいの期間で引き継ぐか
  • 旧オーナーの関与の見込み:期間、役割、関与の度合い。「引き継ぎ期間の設計」を参照
  • 主要取引先の継続性を示す材料:取引年数、契約の有無、担当者の関係、直近の取引状況
  • すでに着手した分散の取り組み:二人体制にした業務、文書化した手順、育成中の人材

買い手からは「社長が抜けたら売上は維持できますか」と聞かれます。ここで断定的に答えてはいけません。どの取引が誰との関係で成り立っているかを事実として示し、引継ぎの計画と合わせて判断していただくのが正しい進め方です。根拠のない「大丈夫です」は、後で必ず問題になります。

あわせて、買い手側の受け入れ体制も確認します。引継ぎを受ける人がいるのか、育成にどれだけ時間をかけられるのか。属人性の解消は、売り手側だけの作業ではありません。

条件への表れ方と、売り手への説明

属人性が高い案件では、条件の組み立て方に工夫が入ることがあります。実務で見られる形を挙げます。いずれも一般的な選択肢であり、案件ごとに妥当性を検討してください。

  • 引継ぎ期間を長めに設定する:旧オーナーが一定期間、役員や顧問として関与する
  • 支払いを分ける:譲渡対価の一部を後払いにする、あるいは業績に連動させる。仕組みと留意点は「アーンアウトの実務」を参照
  • キーパーソンの残留を条件にする:特定の社員の継続勤務を前提とする。本人の意思が前提であり、強制はできない
  • 表明保証や誓約の設計で対応する:競業避止や引継ぎの協力を契約上の約束として定める。内容と効力は弁護士にご確認ください

これらを売り手に説明するときは、「属人性があるから条件が悪くなる」という言い方をしないでください。事実としては、買い手が承継後の不確かさをどう扱うかの問題であり、引継ぎの設計次第で条件の形は変わります。実際、引継ぎ計画を丁寧に作ったことで、買い手の安心が増し、条件の議論が前に進む例もあります。

そして、売り手に伝えるべきいちばん大切なことは、属人性の高さは、その人が事業を支えてきた事実の裏返しだということです。その価値を認めたうえで、引き継げる形に整える作業を一緒に行う。この姿勢が伝われば、売り手は準備に前向きに取り組んでくださいます。

本稿は仲介実務の一般的な型を解説するものであり、個別案件における法的・税務的な判断は、弁護士・税理士等の専門家にご確認ください。

よくあるご質問

A.難しくなる要因ではありますが、譲渡できないわけではありません。買い手が不安に感じるのは、承継後に何が残るかを想像しにくいためです。誰が何を担っているかを整理し、引継ぎの計画を具体的に示せれば、検討は進みます。時間の余裕があるほど準備の選択肢は広がるため、早い段階でご相談いただくことをお勧めしています。
A.すべてを文書化する必要はありません。まずは主要な取引先と重要な工程に絞り、誰が担当し、どこが一人に集中しているかを一覧にするところから始めます。ヒアリングでこちらが書き取り、内容を確認していただく形にすると負担が下がります。整理の過程が日常の経営の役に立つこともあります。
A.条件として協議されることはありますが、本人の意思が前提であり、強制はできません。また、本人にいつ話すかは情報管理の観点から慎重に決める必要があります。時期と伝え方は売り手と協議し、契約上どのような定めが可能かは弁護士にご確認ください。
A.根拠のない断定は避けてください。どの取引が誰との関係で成り立っているか、引継ぎをどう進める計画かを事実として示し、判断は買い手に委ねます。断定して伝えた内容が承継後に実現しなかった場合、売り手が責任を問われる事態になりかねません。事実の提示と、計画の共有が仲介者の役割です。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら