SaaSは、継続的に利用料を得るという収益モデルを持つがゆえに、事業の評価が独特の指標で行われる分野です。売上高や利益だけでなく、解約率、獲得コスト、継続期間といった数字が、そのまま事業の価値の説明になります。本稿では、公表資料からクラウド普及の現在地を確認したうえで、SaaS事業の評価軸と、譲渡・承継の場面で論点になることを整理します。

普及の現在地|クラウドの全社利用は60.0%

総務省「令和7年通信利用動向調査」(令和8年5月29日公表)によると、クラウドサービスを一部でも利用している企業の割合は8割を上回り、増加傾向が続いています。全社的に利用している企業の割合も60.0%となりました。同調査は、常用雇用者規模100人以上の企業を対象に、令和7年8月末時点の状況を調べたものです。

利用する理由については、同調査は「システムの拡張性が高いから(スケーラビリティ)」の前年からの増加が最も大きかったとしています。コスト削減という初期の動機から、事業の変化に柔軟に対応できることへと、選ばれる理由が移っていることがうかがえます。

あわせて、テレワークを導入している企業の割合が50.1%となり前年より増加したことも公表されています。働く場所が分散すれば、社内サーバーに依存しない仕組みが前提になります。この二つの数字は、互いに支え合う関係にあります。

なお、同調査の対象は常用雇用者100人以上の企業です。より小規模な事業者を含めた普及率は、これより低い可能性があります。中小企業向けのSaaSには、まだ開拓の余地が残されていると考えるのが自然です。

普及が進むと何が変わるか

クラウドの利用が当たり前になると、SaaS事業者にとっての競争環境は変わります。かつては「クラウドに移行するかどうか」が顧客の意思決定でしたが、いまは「どのサービスを選ぶか」「使っているサービスを乗り換えるかどうか」が争点になります。

この変化は二つの影響をもたらします。ひとつは、新規顧客の獲得コストが上がることです。未導入の企業が減れば、既存のサービスから乗り換えてもらう必要が生じ、その説得には相応の営業コストがかかります。

もうひとつは、既存顧客の維持がより重要になることです。すでに導入している企業が乗り換え先を検討する時代になれば、自社のサービスも乗り換えられる側になりえます。解約を防ぐための機能改善とサポートが、事業の生命線になります。

また、多くの企業が複数のSaaSを併用するようになると、他のサービスとの連携が選定の条件になります。単独で完結する製品より、既存の業務システムやクラウドサービスとつながる製品が選ばれやすくなるということです。

解約率という指標の重み

SaaS事業の評価で最も重視される指標のひとつが、解約率(チャーンレート)です。月次または年次で、どれだけの顧客あるいは収益が失われているかを示す数字で、これが低いほど、いま存在する顧客基盤から将来得られる収益の見通しが確かになります。

解約率が重要である理由は、収益モデルの構造にあります。SaaSでは、顧客を獲得するための費用が先に出ていき、利用料の積み上げで回収します。したがって、回収が終わる前に解約されれば、その顧客は赤字で終わります。解約率が高い事業は、営業を続ければ続けるほど資金を消耗するという状態になりかねません。

実務上は、顧客数ベースの解約率と、収益ベースの解約率を分けて見ることが一般的です。小口の顧客が抜けても収益への影響が小さい一方、大口が1社抜ければ収益が大きく減るためです。また、既存顧客の利用拡大(アップセル)が解約分を上回っていれば、収益ベースの純解約率はマイナスになりえます。

こうした指標を、自社で継続的に測定し記録できているかどうか。これ自体が、事業の管理水準を示す情報になります。指標の考え方はIT企業・SaaS事業の売却相場の記事で詳しく整理していますので、あわせてご覧ください。

成長投資と、収益とのバランス

SaaS事業のもうひとつの特徴は、成長のための投資と、当期の利益が相反しやすいことです。営業人員を増やし、広告を出し、開発を加速すれば、顧客は増えますが利益は減ります。逆に投資を絞れば利益は出ますが、成長は止まります。

この構造があるため、SaaS事業の決算書は、そのままでは事業の実力を表しにくいという性質を持ちます。利益が出ていないことが必ずしも事業の弱さを意味せず、利益が出ていることが必ずしも強さを意味しません。

したがって、事業を評価する側は、決算書の数字を分解して見ます。既存顧客からの収益がどれだけあり、そこから得られる利益がどの程度か。新規獲得のためにいくら使っているか。その投資が何か月で回収できているか。こうした分解ができる状態にしておくことが、事業を正しく評価してもらう前提になります。

また、開発投資の中身も確認の対象です。機能追加のための開発なのか、技術的負債の解消のための開発なのか。後者の比率が高い場合、引き継ぐ側は追加の投資が必要になると判断します。

事業承継・売却の観点で何が論点になるか

帝国データバンクの2025年の調査では、国内企業の後継者不在率は50.1%とされています。SaaS・ソフトウェア事業では、後継者不在よりもむしろ、成長のための資本と販売力を求めて他社と組むという動機で譲渡が検討されることが多いのが特徴です。

いずれの動機であっても、整理しておきたいのは次のような点です。

  • 継続課金収益の規模と推移(月次・年次)
  • 顧客数、顧客あたりの平均単価、契約形態(年間契約か月次契約か)
  • 解約率(顧客ベース・収益ベース)と、その算定方法
  • 顧客の業種・規模の分布と、上位顧客への収益依存度
  • 開発体制(内製か外注か)、主要な開発者の在籍状況
  • ソースコード・商標・ドメインなど知的財産の帰属
  • 使用しているオープンソースソフトウェアのライセンス管理状況
  • 顧客データの取扱いと、個人情報保護法への対応状況
  • サービス利用規約における、運営主体の変更に関する定め

とりわけ知的財産の帰属は、確認の最重要項目です。開発を外部に委託していた場合、ソースコードの著作権が自社に移転しているかどうかが問題になります。契約書が残っていない、あるいは権利の帰属が明記されていないというケースは、実務上しばしば見られます。この点は知的財産のデューデリジェンスの記事で解説しています。

また、顧客データを預かる事業である以上、情報セキュリティの体制も確認されます。独立行政法人情報処理推進機構(IPA)が2026年1月に公表した「情報セキュリティ10大脅威 2026」では、組織向けの脅威の第2位に「サプライチェーンや委託先を狙った攻撃」が挙げられています。SaaS事業者は顧客にとっての委託先ですから、この視点で見られることを前提に体制を整えておく必要があります。

まとめ|数字で語れる事業にしておく

SaaS・ソフトウェア業界の現在地を公表資料で確認すると、クラウドサービスを一部でも利用する企業は8割を超え、全社的に利用する企業も60.0%に達しました。普及が進んだ市場では、新規獲得より既存顧客の維持が事業の中心になります。

この局面で事業の価値を伝える言葉は、売上高でも利益でもなく、継続課金収益の規模と解約率、そして獲得投資の回収期間です。これらを自社で測定し、説明できる状態にしておくことが、譲渡や資本提携を検討する際の最大の準備になります。

顧客が使い続け、開発の体制が生きているうちであれば、事業の価値は明確に伝わります。当社プラチナパートナーズは、成功報酬型のもと、ソフトウェア事業を含む中小企業の事業承継・会社売却をご支援しています。

本稿の記述は執筆時点(2026年9月)の公表資料に基づきます。最新の情報は各所管官庁の公表をご確認ください。

よくあるご質問

A.決算書だけでは判断されません。SaaS事業は成長のための投資と当期の利益が相反しやすく、利益が出ていないことが必ずしも事業の弱さを意味せず、利益が出ていることが必ずしも強さを意味しません。評価する側は数字を分解して見ます。既存顧客からの収益がどれだけあり、そこから得られる利益がどの程度か。新規獲得のためにいくら使っているか。その投資が何か月で回収できているか。この分解ができる状態にしておくことが、事業を正しく評価してもらう前提です。分解できていない場合は、まず継続課金収益と獲得費用を分けるところから始めてください。
A.顧客数ベースと収益ベースを分けて示してください。小口の顧客が抜けても収益への影響が小さい一方、大口が1社抜ければ収益が大きく減るためです。また、既存顧客の利用拡大が解約分を上回っていれば、収益ベースの純解約率はマイナスになりえます。重要なのは数字そのものより、自社で継続的に測定し記録できているかどうかで、これ自体が事業の管理水準を示す情報になります。あわせて算定方法も明示してください。定義が曖昧なまま数字だけを出すと、買い手は保守的に読み替えます。顧客数、顧客あたりの平均単価、契約形態(年間契約か月次契約か)も同時に揃えておくと話が早く進みます。
A.確認の最重要項目です。開発を外部に委託していた場合、ソースコードの著作権が自社に移転しているかどうかが問題になります。契約書が残っていない、あるいは権利の帰属が明記されていないというケースは実務上しばしば見られます。まず、委託先ごとに契約書の有無と権利帰属の条項を棚卸ししてください。あわせて、商標・ドメインの名義、使用しているオープンソースソフトウェアのライセンス管理状況も確認されます。是正が必要な場合は時間がかかるため、検討の初期に着手しておくことをおすすめします。個別の権利関係の判断は弁護士にご確認ください。
A.委託先としての体制を問われる前提で見られます。独立行政法人情報処理推進機構(IPA)が2026年1月に公表した「情報セキュリティ10大脅威 2026」では、組織向けの脅威の第2位に「サプライチェーンや委託先を狙った攻撃」が挙げられています。SaaS事業者は顧客にとっての委託先ですから、この視点で見られます。顧客データの取扱いと個人情報保護法への対応状況、サービス利用規約における運営主体の変更に関する定めを確認しておいてください。利用規約の定め次第では、経営権の異動に伴う顧客への通知や同意の要否が実行スケジュールに影響します。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら