買収した会社が企業型確定拠出年金(企業型DC)を導入していることがあります。会社が毎月掛金を出し、従業員が自分で運用して、老後に受け取る制度です。
この制度は規約を定めて厚生労働大臣の承認を受けて運営されており、会社ごとに独立しています。したがって、会社の支配が変わったり、従業員が別の会社に移ったりすると、手続きが必要になります。
見落とされやすい論点です。手続きを忘れると、従業員の資産が宙に浮きます。調査の段階で確かめる項目を整理します。
まず、どの制度を持っているかを確かめる
企業年金にはいくつかの種類があり、扱いが変わります。
- 企業型確定拠出年金(企業型DC)。会社が掛金を出し、従業員が運用する。資産は従業員個人の口座にあります。
- 確定給付企業年金(DB)。将来の給付額を約束する制度。積立が不足している場合、会社に負担が残ります。
- 中小企業退職金共済(中退共)。中小企業向けの外部積立の制度。
- 特定退職金共済。商工会議所などが運営する制度。
- 退職金の自社積立。社内で引当てているだけ、あるいは何も積立てていない形。
最も重い論点になるのは、確定給付企業年金の積立不足です。将来の給付を約束しているので、不足分は実質的な負債になります。デットライクアイテム(借入ではないのに価格から引かれる項目)として扱われます。
企業型DCは、資産が従業員個人のものなので会社に負債は残りません。代わりに、手続きの論点になります。
株式譲渡では、制度は続く
株式を譲る形では、会社そのものは変わりません。したがって、企業型DCの規約も制度も続きます。従業員の加入も続き、資産もそのままです。
ただし、届出が必要になる場面があります。規約には事業主の情報が記載されており、支配株主が変わった場合や、グループの制度に統合する場合には変更の手続きが生じます。
実務で問題になるのは、買い手のグループが別の企業型DCを持っている場合です。制度を統合するのか、別々に続けるのか。
統合する場合は、規約の変更、従業員への説明、資産の移換が必要です。運用している商品が違うため、いったん売却して移す形になることがあります。相場の状況によって、従業員の資産額が変わる可能性があります。
したがって、統合するかどうかは急がない判断です。買収の直後にまとめようとすると、説明の手間と従業員の不満が重なります。
事業譲渡・会社分割では、移換の手続きが要る
事業を譲る形では、従業員が別の会社に移ります。企業型DCは会社ごとの制度なので、元の会社の制度からは資格を失います。
このとき、従業員個人の資産をどうするかが論点になります。選択肢は次の形です。
移転先の企業型DCに移換する。譲り受ける会社が企業型DCを持っていれば、そこへ移します。
個人型確定拠出年金(iDeCo)に移換する。移転先に制度が無い場合、本人がiDeCoの口座を作って移します。
何もしない。この場合が問題です。一定の期間内に手続きをしないと、資産が国民年金基金連合会に自動的に移される仕組みがあります。自動移換された資産は運用されず、手数料が差し引かれます。
つまり、手続きを案内しないと、従業員が損をします。しかも本人は気づきにくい性質のものです。
したがって、事業譲渡や会社分割を伴う場合は、譲渡の前に従業員へ案内する準備をします。社会保険労務士や運営管理機関に相談して、手続きの流れと期限を確認します。
中退共は扱いが別
中小企業退職金共済は、独立行政法人が運営する制度で、事業主が掛金を納め、退職時に従業員へ直接支払われます。
M&Aに関わる論点は次の点です。
加入の資格。中退共には、加入できる企業の規模の要件があります。買収によって大企業のグループに入ると、要件を満たさなくなる場合があります。この場合、制度から脱退することになり、資産の移換などの手続きが生じます。
通算の仕組み。合併や会社分割の場合に、掛金の納付月数を通算できる仕組みがあります。要件があるため、個別に確認が必要です。
株式譲渡の場合。会社が変わらないので制度は続きますが、規模の要件に触れる可能性は同じです。
この要件は見落とされやすく、買収の後に「加入を続けられない」と分かることがあります。調査の段階で、買い手のグループの規模と合わせて確認します。
調査で確かめる項目
買い手が確かめる項目を整理します。
- どの制度を持っているか。企業型DC、確定給付企業年金、中退共、特定退職金共済、自社積立。
- 規約の内容。掛金の額、対象者の範囲、支給の条件。
- 積立の状況。確定給付型なら積立不足の額。
- 退職金規程との関係。制度の給付が退職金規程の支給額を満たしているか。不足分を会社が払う形になっている場合、その分が負債になります。
- 買い手のグループの制度。統合できるか、規模の要件に触れないか。
- 未加入の従業員がいるか。
4つめが見落とされやすい部分です。制度があるから安心というわけではなく、規程で約束した金額に足りているかを見ます。
売り手が先にできること
売り手の側で整えられることを挙げます。
1. 制度の一覧を作る。どの制度に、いつから、何人が加入しているか。規約と規程の写しを揃えます。
2. 退職金規程と制度の給付を突き合わせる。規程で約束している金額と、制度から出る金額の差を出します。差があれば、それが会社の負担です。
3. 積立不足を把握する。確定給付型の場合、直近の財政の状況を確認します。
4. 未加入者を確認する。要件を満たしているのに加入していない従業員がいないか。
この4つは、M&Aの有無に関わらず必要な整理です。退職者が出たときに「規程どおり払えない」ということが起きないためです。
そして、差があること自体は珍しくありません。隠さずに出すほうが、調査で出てくるより条件が良くなります。制度の要件と手続きは改正があるため、社会保険労務士・運営管理機関に確認してください。