本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。最終契約の内容は、当事者が弁護士の確認を受けたうえで判断するのが原則です。ところが実務では、依頼の出し方が悪いために時間と費用が余計にかかる、あるいは聞くべきことを聞かないまま調印に至るという事態が起きます。仲介者は法律の判断をしませんが、依頼が的確に届くように整えることはできます。それは案件の進行を守るだけでなく、依頼者の費用負担を軽くすることにもつながります。前提となる法務の基礎は「アドバイザーが押さえる法務の基礎」を併せてご覧ください。

依頼する前に揃えるもの

契約書の案だけを送って「見てください」と言うと、弁護士は前提が分からないため、一般的な観点から全方位の指摘を返すことになります。その結果、依頼者にとっては読み切れない量の指摘が届き、費用も時間も増えます。次の資料を揃えてから依頼します。

渡すものなぜ必要か
契約書の案(版が分かる形で)どの版に対する指摘かを特定するため
取引の概要を1枚にまとめたもの当事者・スキーム・対価・日程が分からないと条項の評価ができない
基本合意書と、そこから変わった点合意済みの事項を蒸し返す指摘を避けるため
調査で出た主な指摘と、その処理方針条項・別紙・特別補償のどれで処理するかの判断に直結する
別紙・開示スケジュールの案本文だけでは表明保証の実質が判断できない
依頼者が特に気にしている点限られた時間を、依頼者の関心のあるところに使うため
希望する回答期限と、その理由調印日から逆算した現実的な期限を共有する

この一式を揃えるのは仲介者の仕事です。依頼者に「資料を集めてください」と丸投げすると、結局こちらが持っている資料が抜けたまま依頼が出ていきます。

論点の立て方 — 「全部見てください」と言わない

依頼書に書くのは、具体的な問いの形です。「リスクを教えてください」ではなく、次のように書きます。

  • 表明保証の範囲と期間について、売り手の立場から見て過大な部分がないか。特に労務と税務に関する条項の期間
  • 補償の上限・下限・通知期限が、この取引の規模に照らして妥当か
  • 競業避止義務の期間・地域・業務範囲が、依頼者の譲渡後の予定(別紙記載)に支障しないか
  • 前提条件のうち、期日までに満たせない可能性があるものはどれか
  • 誓約事項のうち、日常の業務運営に支障が出る可能性のあるもの
  • 別紙に記載した事項で、記載の仕方として不十分なものはないか
  • 紛争が生じた場合の解決手続きの定めに、依頼者にとって不利な点はないか

問いの形で渡すと、回答も判断に使える形で返ってきます。そして、依頼者に「何を聞いたか」を先に共有しておけば、回答が来たときに何の答えなのかが分かります。なお、問いを立てるのは仲介者ですが、依頼するのは当事者本人です。仲介者が弁護士に直接発注し、内容まで取り仕切る形は、誰のための助言なのかを曖昧にします。当社では、問いの案を作って依頼者に確認いただき、依頼者から弁護士へ依頼していただく形をとります。

費用と期間の見通しを、先に伝える

依頼者にとって不安なのは、金額と時間が読めないことです。見通しは、次のように伝えます。具体的な金額は事務所と契約内容によって異なるため、仲介者が相場を断定することはしません。「見積もりを取る」という手順を踏むことを伝えます。

  • 費用の決まり方:時間制か、定額か、範囲によって変わるか。修正のやり取りが何往復まで含まれるか
  • 範囲:契約書のレビューのみか、相手方との交渉への同席まで含むか、別紙の作成支援まで含むか
  • 期間:初回の回答までの日数と、修正のやり取りに要する往復の回数
  • 追加が生じる場面:スキームが変わったとき、争点が増えたとき

期間の見立ては、調印日から逆算します。初回の回答、当事者間の協議、修正版の作成、再確認、最終版の確定、という各段階に日数を置き、工程表に入れます。「契約書は弁護士に見てもらいます」とだけ書いて日数を置かないと、必ず後ろが詰まります。日程の組み方は「案件のスケジュール管理」も参照してください。

返ってきた指摘を、売り手にどう説明するか

弁護士からの指摘は、専門的な表現で、かつ網羅的に返ってきます。そのまま転送すると、多くの依頼者は読み通せず、「危ないと言われた気がする」という漠然とした不安だけが残ります。当社では、指摘を次の三つに仕分けして整理します。

仕分け中身依頼者に求めること
直さないと困るもの依頼者に大きな不利益が生じ得る条項相手方に修正を求めるかどうかの判断
直せれば望ましいもの交渉の材料になるが、通らなくても致命的ではない優先順位の確認
知っておけばよいもの条項の意味の説明、一般的な注意喚起理解の確認のみ

重要なのは、仕分けの案を示すのは仲介者だが、評価そのものは弁護士の言葉として伝えることです。「弁護士は重要だと言っていますが、私はそこまでではないと思います」という伝え方は、依頼者の判断を歪めます。仲介者が加えてよいのは、「この点を相手方に求めた場合、日程がこれくらい延びます」「同種の論点は基本合意の段階でこう整理しました」といった案件の事実情報までです。助言と決定の境界については「助言と決定の境界」で扱っています。

仲介者が越えない線

この工程は、線を越えやすい場面が集中しています。次の行為は行いません。

  • 契約書の条文を仲介者が起案すること。事実関係の記載や別紙の下書きを整理することと、法的効果を定める条項を作ることは別です
  • 条項の法的な効果について断定的に説明すること。「この条文なら問題ありません」は言いません
  • 弁護士のレビューを省く提案。「時間がないので今回は省きましょう」は、どれほど日程が厳しくても言ってはならない言葉です
  • 指摘を依頼者に伝えないまま握りつぶすこと。案件が止まるからという理由で伝えないのは、最も重い違反です

逆に、仲介者にしかできないこともあります。案件の経緯を最もよく知っているのは仲介者だという点です。どの条件がどの段階でどう合意されたのか、調査で何が出てどう処理したのか、当事者がどこを気にしているのか。それを整理して弁護士に渡せば、レビューの質は上がり、費用と時間は下がります。判断は弁護士に、経緯の整理は仲介者に。この分担が、依頼者にとって最も安く、最も速く、最も安全です。

本稿は仲介実務の一般的な型を解説するものです。契約条項の解釈や個別案件における法的な適用は弁護士に、税務の取り扱いは税理士にご確認ください。アドバイザーは法律事務・税務代理を行いません。

よくあるご質問

A.最終契約は譲渡後の責任の範囲まで定める文書ですので、当事者ご自身が弁護士の確認を受けたうえで判断されることをお勧めしています。日程が厳しいことを理由にレビューを省く提案を、当社から行うことはありません。日程のほうを調整します。
A.契約の内容、依頼の範囲、事務所によって異なりますので、仲介者が金額を断定することはいたしません。費用の決まり方(時間制か定額か)、含まれる範囲(レビューのみか交渉同席まで含むか)、修正のやり取りが何往復まで含まれるかを確認したうえで、見積もりをお取りいただく形をお勧めしています。
A.指摘を、直さないと困るもの、直せれば望ましいもの、知っておけばよいものの三つに仕分けして整理します。仕分けの案は仲介者がお示ししますが、それぞれの重さの評価は弁護士のご意見としてお伝えします。仲介者が弁護士の評価を軽く言い換えることはいたしません。
A.ご依頼はご本人から出していただく形をとっています。仲介者が発注し、内容まで取り仕切ると、誰のための助言なのかが曖昧になるためです。問いの案の作成、資料の取りまとめ、日程の調整といった準備は仲介者が行い、弁護士をご紹介することもできます。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら