本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。設備や建物を見ていると、「これは補助金で入れたものです」と説明を受けることがあります。ここで話を流さないでください。補助金で取得した資産には、取得後も条件が残っていることがあり、譲渡の形によっては手続や返還の論点になります。一方で、過度に不安をあおるのも間違いです。多くの場合は所定の手続を踏めば進められます。仲介者の仕事は、受給の事実と手続の要否を正確に把握し、確認できたこととできていないことを分けて資料に書くことです。結論を断定することではありません。
※本稿で触れる制度の具体的な取扱いは、補助金の種類・交付要綱・所管行政庁によって異なります。個別案件の判断は、所管官庁の窓口および弁護士・税理士等の専門家に必ずご確認ください。
なぜ受給履歴が論点になるか|「もらって終わり」ではない
補助金は、目的に沿って使われることを条件に交付されます。そのため、交付を受けた後も一定の義務が残るのが一般的です。実務で効いてくるのは、おおむね次の三つです。
- 財産の処分に制限がある:補助金で取得した機械や建物を、一定期間は自由に売却・転用・廃棄できない
- 報告の義務が続く:事業化状況や成果の報告を、交付後の一定期間求められる制度がある
- 要件を満たさなくなると返還を求められることがある:雇用の維持、設備の稼働、事業の継続などが条件になっている場合
国の補助金については、補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律(補助金適正化法)が基本的な枠組みを定めており、同法では、補助金により取得した財産を各省各庁の長の承認を受けずに処分することが原則として禁じられています(第22条)。処分が制限される期間は、財産の種類や耐用年数等を基準に定められます。具体的な期間と手続は交付要綱によるため、必ず個別に確認してください。
なお、事業承継やM&Aそのものを対象とする公的支援として事業承継・M&A補助金があります。こちらは譲渡側・譲受側が申請する制度で、本稿で扱う「過去に受給した補助金の承継時の扱い」とは別の話です。混同しないでください。
まず何を集めるか|通知書一枚では足りない
受給の事実は、書類で確かめます。オーナーの記憶では、補助金名も年度も曖昧なことが多いためです。
| 集める書類 | そこから分かること |
|---|---|
| 交付申請書・交付決定通知書 | 補助金の名称、所管、交付決定額、対象事業 |
| 交付要綱・公募要領 | 処分制限、報告義務、返還事由の定め。ここが本体 |
| 実績報告書・額の確定通知書 | 実際に交付された金額、対象となった資産の明細 |
| 取得財産等管理台帳 | 処分制限の対象資産と、その管理状況 |
| その後の報告書 | 事業化状況報告など、継続中の義務の有無 |
| 総勘定元帳(雑収入・国庫補助金受贈益など) | 申告漏れの受給を発見する手がかり |
元帳から当たるのが確実です。「補助金は受けていません」と言われた会社で、数年前の雑収入から受給が判明することがあります。悪意ではなく、担当者が退職して記憶が途切れているだけ、という場合がほとんどです。資料の集め方は「資料依頼の出し方」も参考にしてください。
助成金(雇用関係の助成金など)も同じ扱いで拾います。制度によっては、支給後に事業主都合の離職があった場合の取り扱いなど、継続的な条件が定められていることがあります。
処分制限と、譲渡の形による違い
もっとも確認が必要なのは、譲渡の形によって「財産の処分」に当たるかどうかが変わり得る点です。
| 譲渡の形 | 確認すべきこと |
|---|---|
| 株式譲渡 | 資産の所有者である法人は変わらない。ただし、交付要綱が株主の変更や支配権の異動について定めを置いていないかを確認する |
| 事業譲渡 | 対象資産が別法人に移転するため、承認手続が必要になる可能性が高い。所管に確認する |
| 会社分割・合併 | 包括承継だが、届出や承認を求める要綱がある。個別確認が必須 |
| 資産の個別売却・廃棄 | 処分制限期間内であれば、原則として承認が必要。国庫納付を求められる場合がある |
ここで仲介者が絶対にやってはいけないのは、「株式譲渡だから大丈夫です」と断定することです。補助金は制度ごとに要綱が違い、支配権の異動を報告事項としているものもあります。確認していないことを大丈夫と言えば、それは事実に反する説明になります。
実務の順番はこうです。①要綱の該当条項を特定する → ②所管の窓口に、案件を特定しない形で一般的な取扱いを照会する → ③必要な手続と期間を工程表に置く → ④資料には確認状況まで書く。照会の段階で会社が特定されないよう、聞き方には注意してください(「秘密保持の運用実務」)。
返還リスクをどう見るか|不安をあおらず、根拠で示す
返還の話は、扱いを誤ると売り手を必要以上に不安にさせます。返還が生じるのは、要綱に定められた事由に該当した場合です。「M&Aをすると補助金を返さなければいけない」といった一般化は、事実ではありません。
見るべきは、要綱に書かれた次のような事由です。
- 補助の目的に反する使用、処分制限期間内の無承認処分
- 事業の廃止・休止、設備の稼働停止
- 雇用に関する条件が付されている場合の、当該条件の不充足
- 収益納付の定めがある場合の、収益の発生
- 報告義務の不履行、虚偽の報告
これらに該当しそうな事情があるときは、「該当する可能性がある事情があり、所管に確認中である」と書きます。該当すると断定も、しないと断定もしません。判断するのは所管行政庁です。金額を試算して資料に載せるのも避けてください。前提の置き方一つで数字が変わり、その数字が独り歩きします。
買い手側は、この論点を表明保証や特別補償で処理しようとします。どこまでを売り手が負うかは交渉事項です。設計の考え方は「特別補償の使いどころ」に整理しています。
資料にどう書くか|確認状況まで書いて初めて資料になる
一覧表の列は次のとおりです。件数が少なくても表にしておくと、DDのQ&Aがそのまま片づきます。
- 補助金・助成金の名称と所管(国/都道府県/市区町村/独立行政法人など)
- 交付年度・確定額
- 対象となった資産・事業(固定資産台帳の番号と紐づける)
- 処分制限期間:要綱上の定めと、残存期間
- 継続中の報告義務の有無と、直近の提出状況
- 承継時に想定される手続:届出/承認申請/不要、およびその根拠(要綱の条項)
- 確認状況:要綱で確認済み/所管に照会済み/照会予定/未確認
最後の列を落とさないでください。補助金は、仲介者が机上で結論を出せる領域ではありません。「確認中」「照会予定」と書くことは、資料の精度を下げるのではなく、精度を正しく表明することです。
そして、書く姿勢について一つ。補助金の受給歴は、設備投資を計画的に行ってきた証拠として前向きに読める一方、承継時に手続を要する制約でもあります。前者だけを書いて後者を落とせば、DDで必ず反対側が出てきます。有利に読める事実も、制約になる事実も、同じ表に同じ精度で並べる。これは補助金に限らず、資料作成全体に共通する基準です。簿外の負担全般の洗い出しは「簿外債務と引当不足の洗い出し」を参照してください。