本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。初回面談を終え、決算書を数期分預かった。ここから何をするか——新人が最も差の出る場面です。資料を眺めているだけでは前に進みません。必要なのは、一次情報を整理し、この会社がどう稼ぎ、どこに論点があるかの仮説を立てること。この作業の質が、後の企業概要書、買い手の選定、価格の説明、そしてDDの備えまで全部に効いてきます。本稿では、初回面談から案件化までの間にやる「概況整理」の手順を書きます。面談での聞き取りは「ヒアリングシートの作り方」を先にお読みください。
初期整理の目的|「知っている」を「説明できる」に変える
初期整理の目的は三つあります。第一に、他人に説明できる状態にすること。社内の案件会議でも、買い手への打診でも、必要なのは自分の頭の中ではなく、人に伝わる形の説明です。第二に、足りない情報を特定すること。整理して初めて、何を追加で聞くべきかが分かります。第三に、論点を先回りすること。DDで出てくる問題の多くは、初期の段階で兆候が見えています。
ここで大事なのは、初期整理は評価ではないという点です。良い会社か悪い会社かを判定するのではなく、事実を並べ、分からないことを分からないと明記する。新人ほど早く結論を出したがりますが、初期の断定は後で必ず修正を強いられ、そのたびに社内と当事者の信頼を削ります。
作業時間の目安としては、面談から数日以内に一度形にすること。記憶が新しいうちに書くほど、面談で感じた違和感が残ります。この違和感が、後から効いてくることがよくあります。
一枚整理の型|概況シートに何を並べるか
当社では、A4一枚の「概況シート」に落とすことを新人に課しています。項目はおおむね次のとおりです。
| 区分 | 並べる内容 |
|---|---|
| 会社の輪郭 | 商号、設立年、所在地、拠点、事業内容、許認可、従業員数、代表者の年齢と在任期間 |
| 事業の構造 | 誰に、何を、どう届けて、いくらもらっているか。売上構成、単価と数量、取引の継続性 |
| 数字の推移 | 直近3期の売上・売上総利益・営業利益・経常利益、総資産、純資産、有利子負債 |
| 資産の中身 | 不動産の所有・賃借、機械設備、在庫、売掛の回収サイト、遊休資産 |
| 人と組織 | 役員構成、幹部の年齢、キーマン、平均年齢、採用と定着の状況 |
| 株主 | 株主構成と比率、親族外株主の有無、名義株や所在不明株主の疑い |
| オーナーの意向 | きっかけ、希望時期、譲れない条件、譲渡後の関与、家族の理解 |
| 未確認事項 | いま分かっていないこと。これを空欄にせず、明示的に列挙する |
最後の「未確認事項」の欄が、実は最も重要です。初期の資料だけで全部は分かりません。分からないことを列挙し、それぞれに「いつ、誰に、どう聞くか」を書いておくと、次の面談と資料依頼が自動的に決まります。資料の頼み方は「資料依頼の出し方」に整理しました。
稼ぎ方を言葉にする|数字とビジネスモデルをつなぐ
概況整理の中核は、この会社がなぜ利益を出せているのかを一段落で書けるようにすることです。決算書の数字だけを並べても、この問いには答えられません。数字とビジネスモデルをつなぐ作業が要ります。
つなぎ方の手順
- 売上を分解する:客数×単価か、案件数×案件単価か、契約数×月額か。分解の型が決まると、増減の理由が見えます
- 粗利率の水準を確認する:同じ業種でも会社ごとに差があります。高いなら理由(技術・立地・関係)、低いなら理由(下請構造・値決め力)を言葉にする
- 固定費の中身を見る:人件費、地代家賃、リース。どこに構造的な負担があるか
- 役員関連を切り分ける:役員報酬、役員保険、個人利用の資産。実質的な収益力を掴む前提になります(「実質利益とは」参照)
- キャッシュの動きを見る:利益が出ていても資金が回っていない、あるいはその逆。読み方は「資金繰り表とキャッシュフローの読み方」に
そのうえで、「この会社は、○○という強みによって、△△という顧客から継続的に受注し、□□という構造で利益を確保している」という一文を書いてみてください。書けなければ、まだ理解していないということです。書けないまま企業概要書に進むと、買い手の質問に答えられません。
決算書の読み方そのものは「決算書を読む力を身につける」に、数字の背景を本人から聞き出す方法は「決算数値のヒアリング」にまとめています。
仮説の立て方と、検証の順番
整理ができたら、仮説を三種類立てます。
- 価値の仮説:この会社のどこに買い手が価値を見出すか。技術、顧客基盤、人材、許認可、立地、シェア
- 買い手の仮説:誰が買うと最も価値が高まるか。同業の面展開か、川上・川下の統合か、異業種からの参入か
- 論点の仮説:交渉やDDで問題になりそうな点。取引先の集中、キーマン依存、簿外の負担、株主の分散、不動産の権利関係
検証の順番は、案件が止まる要因から先にです。価値の話は後からいくらでも磨けますが、株主がまとまらない、株式に譲渡制限や所在不明株主がある、といった論点は初期に潰さないと後半で全部が崩れます。資本の確認手順は「資本構成の確認」を、不動産・借入・保証の確認は「不動産・借入・保証の初期確認」を参照してください。
仮説は必ず反証を用意して持ちます。「この技術が強みだ」と思ったら、「本当にそうか、代替できないか、属人的ではないか」を同時に書いておく。仮説を守るために事実を曲げ始めた時点で、アドバイザーとしての価値は失われます。
初期段階で見落としやすい論点
経験の浅いうちに見落としやすい論点を挙げておきます。どれも、後半で発覚すると影響の大きいものばかりです。
- 事業に必要な不動産が、オーナー個人や資産管理会社の所有:譲渡後の賃貸借条件をどうするかで、価格の議論が丸ごと変わります
- 主要契約のチェンジ・オブ・コントロール条項:支配権の異動で解除できる条項がないか。契約書を早めに見る必要があります
- 許認可の承継可否:業種によっては株式譲渡なら継続、事業譲渡なら再取得という違いが出ます
- キーマンの存在と処遇:社長本人が営業の中心である場合、譲渡後の引継期間の設計が価値そのものになります
- 労務の実態:残業時間の管理、割増賃金、社会保険の加入。中小企業で発見事項が出やすい領域です
- 経営者保証と個人資産の混在:金融機関との調整が必要です。経営者保証に依存しない融資は2024年度上期で52%(金融庁)まで来ていますが、既存の保証をどう外すかは個別の交渉です
- 親族間の合意状況:配偶者・子・兄弟が株主または役員である場合、合意形成の順番を誤ると案件が止まります
これらを初期の概況シートの「未確認事項」に書き込み、面談のたびに一つずつ潰していく。初期整理は一度で完成させるものではなく、案件と一緒に育つ生き物だと思ってください。案件化の判断に上げる際の書き方は「案件化の判断と社内共有」にまとめました。