本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。決算書を読む技術は「決算書を読む力を身につける」で扱いました。本稿はその次の段階、読んで生まれた疑問を、オーナー本人にどう聞くかです。数字の意味は決算書には書かれていません。売上が落ちた理由、粗利が上がった理由、役員報酬の水準の背景——これらは本人の口からしか出てこない。しかもお金の話は最も聞きにくい領域です。聞き方を間違えると、詮索されていると感じさせ、その後の関係が固くなります。
数字を読むだけでは、買い手に説明できない
買い手が知りたいのは、その数字が今後も続くのかです。「前期は売上が15%落ちています」だけでは意味がなく、「大口の一社が設備投資を一時止めたためで、今期は戻っている」なのか、「業界全体の構造変化で、今後も戻る見込みが薄い」なのかで、評価はまるで違います。この区別ができるのは、背景を聞いた人だけです。
もうひとつの理由は、実質的な収益力の把握です。中小企業の決算は、税務上の判断や経営者の裁量が色濃く反映されています。役員報酬の水準、退職金の計上、生命保険、個人的な支出、遊休資産。これらを整理して初めて、買い手が引き継ぐ事業の稼ぐ力が見えます(「実質利益とは」参照)。
そして三つ目に、DDで出る論点の先取りがあります。ここで曖昧なまま進めた論点は、必ずDDで指摘されます。その時点で初めて説明を用意するのでは遅い。ヒアリングは、後半の防波堤でもあります。
ヒアリング前の準備|質問は事前に作っておく
決算書を前にして、その場で質問を考えてはいけません。準備の手順はこうです。
- 3期分を並べて増減表を作る:売上、売上原価、売上総利益、販管費の主要項目、営業利益、経常利益。金額と率の両方で
- 異常値に印を付ける:前期比で大きく動いた項目、業種の一般的な水準から外れて見える項目
- 貸借対照表の残高を見る:売掛金・棚卸資産の回転、貸付金・仮払金、役員貸借、保険積立金、投資その他
- 疑問を書き出す:一項目一問。ここで最低でも十問は出るはずです
- 質問の優先順位を付ける:買い手への説明に必須のもの、後でよいものを分ける
準備した質問は、ヒアリングの場でそのまま読み上げず、会話の流れに沿って順番を入れ替えます。準備は台本のためではなく、聞き漏らさないためのものです。
また、決算書だけでなく試算表と資金繰りの状況も併せて確認してください。決算は年に一度の断面にすぎず、季節性や資金の詰まりは月次でしか見えません(「資金繰り表とキャッシュフローの読み方」参照)。
増減の理由を引き出す質問の型
効く質問と効かない質問には、はっきりした違いがあります。
| 避けたい聞き方 | 置き換えたい聞き方 |
|---|---|
| 「なぜ売上が落ちたのですか」 | 「この年に、事業のうえで何か変わったことはありましたか」 |
| 「利益率が低いですね」 | 「この分野は、価格はどのように決めていらっしゃいますか」 |
| 「この経費は何ですか」 | 「販管費のこの項目が動いていますが、背景を教えていただけますか」 |
| 「役員報酬が高いのでは」 | 「役員報酬は、どういう考え方で水準を決めていらっしゃいますか」 |
| 「在庫が多いようですが」 | 「在庫はどのくらいの期間で回るのが通常ですか」 |
共通するのは、評価を含む言葉を使わないことと、経営判断として聞くことです。オーナーは自分の経営を評価されることに敏感です。「なぜ」で始まる質問は詰問に聞こえやすいので、「何が変わったか」「どう決めているか」に置き換えてください。
さらに深掘りするときは、数量と単価に分けて聞くのが有効です。「売上が落ちたのは、件数が減ったからですか、単価が下がったからですか」。この一問で、事業の構造の話に入れます。件数なら顧客数か発注頻度か、単価なら値下げか構成変化か。ここまで分解できると、買い手への説明が一気に具体的になります。質問技術の全体は「質問力を鍛える」を参照してください。
役員関連取引と個人資産の混在をどう聞くか
最も聞きにくく、しかし最も重要な領域です。次の項目は必ず確認します。
- 役員報酬:代表者と親族役員の報酬額、実際の勤務実態
- 役員貸付・借入:会社と個人の間の資金の貸し借りの残高と経緯
- 生命保険:契約者・被保険者・受取人、解約返戻金の水準、退職金原資としての位置づけ
- 個人的な支出:車両、交際費、家賃、通信費など、事業と個人の切り分け
- 事業用不動産の所有者:会社所有か、オーナー個人か、資産管理会社か。賃料の水準は妥当か
- 親族への支払い:親族が経営する会社との取引、その条件
- 経営者保証:借入への個人保証、担保提供の状況
聞き方の順序
いきなり個人の話に入らず、目的を先に説明してください。「買い手は、社長が退かれた後にこの会社がどれだけ利益を出せるかを見ます。そのために、社長個人に関わる収支を切り分けて整理する必要があります。詮索ではなく、会社の実力を正しく示すための作業です」。この前置きがあるかないかで、答えの率直さがまったく変わります。
そして、切り分けることは有利になり得ると伝えてください。役員報酬や個人的な支出を戻せば、実質的な利益は決算書の数字より高く見えることが多い。これは隠すための調整ではなく、実態を正確に示す作業です。ただし、切り分けの妥当性は買い手側のDDで必ず検証されます。説明できない調整は逆効果になる、という点も同時に伝えてください。役員貸付金の扱いは「役員貸付金・借入金の処理」に整理しています。
聞きにくい話題への入り方と、聞いた後の検証
係争、税務調査の指摘、簿外の負担、粉飾の疑い。これらは避けて通れませんが、正面から切り込むと関係が壊れます。実務では次のように入ります。
- 一般論から入る:「どの会社でも一つや二つは出てくるのですが」と前置きし、心理的な負担を下げる
- 先に出すほうが有利だと伝える:DDで買い手側から指摘されるより、先に開示して対応を用意したほうが、価格にも交渉にも有利になる
- 隠したときの結果を具体的に説明する:表明保証違反、価格の再交渉、最悪の場合は白紙撤回
- その場で評価しない:出てきた事実に驚いた顔をしない。「わかりました、対応を一緒に考えましょう」と受ける
- 判断は専門家に渡す:税務・法務の見解を仲介者が断定しない。顧問税理士・弁護士に確認する段取りを組む
聞いた内容は、必ず裏を取るところまでが仕事です。口頭の説明を資料と突き合わせ、整合しない点は再度確認する。悪意がなくても記憶違いはあります。ここを省くと、企業概要書に誤った説明を書き、後で訂正することになります。
記録は、事実と説明を分けて残してください。「前期の売上減15%」は事実、「大口先の設備投資の一時停止による、と社長は説明」は説明です。買い手に伝えるときも、この区別を保ったまま伝える。伝聞を事実として書かない——これは仲介者の基本的な作法であり、後で自分を守ることにもなります。整理の型は「会社概況の初期整理」に、社内共有の書き方は「案件化の判断と社内共有」にまとめました。