本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。相続が絡む案件は、通常の承継案件とは景色が違います。当事者が複数になり、感情が混じり、期限のある手続きが並走する。そして何より、会社を売る意思決定をする人が「経営してきた本人ではない」場面が生じます。本稿では、相続が絡む案件で仲介者が何を確認し、どう進めるかを整理します。税務・法務の判断は必ず専門家の領域であることを前提に、実務の段取りとして読んでください。

相続が絡む案件の三つの場面

まず、案件がどの場面にあるのかを見極めます。場面によって、進め方も確認事項もまったく異なります。

場面状況実務の焦点
生前の相談オーナーが健在で、相続を見据えて譲渡を検討相続と譲渡のどちらを選ぶかの比較。時期の設計
相続発生後・分割済み株式の承継先が確定している通常の案件に近い。相続人の意思統一と、相続税の資金手当てが論点
相続発生後・分割未了遺産分割の協議中で、株式の帰属が未確定株式の権利行使をどうするか。分割の完了を待つのか

最も難しいのは三つ目です。株式の帰属が決まっていない状態では、譲渡の意思決定そのものができません。この状態で候補探しを始めると、後で全員の合意が得られず、案件が空中分解します。

生前の相談であれば、選択肢を並べて比較することができます。「相続で承継させるのか、生前に譲渡するのか」——この比較は税務の検討が中心になりますので、早い段階で税理士に入っていただくのが正しい進め方です。「相続と会社売却」も参考にしてください。

まず確認すること|株主は誰か、遺言はあるか

相続が絡む案件では、次の確認が出発点になります。ここを飛ばして進めることは絶対にできません。

  • 被相続人が保有していた株式の数と割合:株主名簿、法人税申告書の別表、株券の有無
  • 相続人は誰か:戸籍で確認する。想定外の相続人が判明することがあります
  • 遺言があるか:あれば内容と形式。株式について記載があるか
  • 遺産分割が完了しているか:協議書があるか、まだ協議中か
  • 他に株主がいるか:被相続人以外の株主、名義だけの株主
  • 相続税の申告の状況:申告期限との関係、納税資金の手当て

実務でしばしば起きるのが、「相続人が把握している株主構成と、実際が違う」という事態です。先代が知人に株を持たせていた、従業員持株があった、名義だけを借りていた——こうした事情は、当事者すら知らないことがあります。株主名簿と申告書の別表を突き合わせ、齟齬があれば早い段階で洗い出してください。

遺言がある場合は、その内容が株式にどう及ぶかを弁護士に確認します。遺言と株式の関係は「遺言と自社株の承継」に整理しています。

遺産分割が未了のときの実務

遺産分割が終わっていない場合、株式は相続人の間で共有された状態になります。この状態では、個々の相続人が単独で株式を処分したり、議決権を行使したりすることはできません。

実務上の対応は次のようになります。いずれも弁護士の関与のもとで進める領域です。

  • 権利を行使する者を定める:共有状態の株式について、議決権などを行使する者を一人定めて会社に通知する手続きがあります
  • 遺産分割の完了を待つ:株式の帰属を確定させてから譲渡に進む。最も明快ですが、時間がかかります
  • 分割協議の中で譲渡の方針を合意する:相続人全員が譲渡の意思を持っているなら、その前提で協議を進めていただく

仲介者としての実務の勘所は、「相続人全員が同じ方向を向いているか」を早く確認することです。一人でも反対している方がいれば、その状態で買い手を探すべきではありません。買い手にとっても、途中で頓挫する案件に時間を使うことは損失です。

また、相続人の間の話し合いに仲介者が立ち入らないこと。遺産分割は相続人と弁護士の領域であり、仲介者が調整役を買って出ると、後に「あの人が誘導した」という話になりかねません。会社の譲渡に関する情報提供は行っても、分割の内容には関与しない。この線を守ってください。

名義株・所在不明株主という別の論点

相続が絡む案件では、しばしば古い株主構成の問題が同時に表面化します。

名義株

設立当時の発起人の要件などから、実際には出資していない人が株主として名簿に載っている——いわゆる名義株です。当時の事情を知る人がいなくなると、実態の確認が困難になります。相続を機に「自分は株主だ」という主張が出ることもあり、譲渡の障害になります。対応は「名義株の問題と対応」を参照し、必ず弁護士の関与のもとで進めてください。

所在不明株主

連絡先が分からない株主がいる場合も、株式の集約が課題になります。会社法には、一定の要件のもとで所在不明株主の株式を処理する制度があり、また事業承継の場面では要件が緩和される特例が設けられている場合があります。ただし要件と手続きは厳格で、相応の期間を要します。制度の利用可否は弁護士に確認してください。

これらの論点は、発見が遅いほど案件を壊します。受託の初期に株主名簿を確認し、名簿に載っている全員と連絡が取れるかを確かめる——この一手間を惜しまないでください。集約の実務全般は「株式が分散した会社の案件」に整理しています。

税務の論点|相続税と譲渡の時期

相続が絡む案件では、税務の論点が案件の時期そのものを左右します。以下はいずれも税理士の判断領域であり、仲介者は論点を提示するに留めてください。

  • 相続税の申告と納税の期限:相続の開始を知った日の翌日から一定期間内に申告と納税を行う必要があります。納税資金の手当てが、譲渡の時期に影響することがあります
  • 非上場株式の相続税評価:評価の方法は複数あり、会社の状況によって適用が異なります。「相続における自社株の評価」を参照
  • 相続により取得した株式を譲渡する場合の特例:一定の要件のもとで取得費に関する特例が設けられている場合があります。適用の可否と期限は税理士に確認してください
  • 譲渡益に対する課税:個人が株式を譲渡した場合の税率は20.315%です
  • 事業承継税制:特例承継計画の提出期限は2027年9月30日、適用期限は2027年12月31日とされています。制度の適用を受けている場合、譲渡が制度に与える影響を必ず確認してください

最後の点は極めて重要です。事業承継税制の適用を受けている会社を譲渡する場合、猶予されている税額の扱いに影響が生じ得ます。「制度を使っています」と聞いた時点で、税理士への確認を最優先にしてください。仲介者が「たぶん大丈夫です」と言うことは絶対に避けてください。

制度の概要は「事業承継税制とは」に整理していますが、個別の適用関係は必ず専門家に確認する前提で読んでください。

進め方の作法|感情と時間への配慮

最後に、相続案件を進めるうえでの作法をまとめます。

  • 喪失の直後に急がせない:相続人は、大切な人を亡くした直後です。手続きの期限があるとしても、伝え方には配慮が要ります
  • 全員に同じ情報を届ける:一部の相続人にだけ情報を伝えると、不信を招きます。窓口を決めつつ、情報は公平に
  • 相続人間の対立に加担しない:誰かの味方になった時点で、仲介者の立場は失われます
  • 会社の状況を早く把握する:経営者を失った会社は、取引先や金融機関からの信用面でも影響を受けることがあります。事業の状況を早く確認する
  • 期限を一覧にする:相続の手続き、税務の申告、会社の決算——複数の期限が並走します。一覧にして共有すると、当事者の不安が減ります
  • 決められない状態を放置しない:相続人の意思が揃わないなら、揃うまで案件を進めない。中途半端に動くほうが害になります

相続が絡む案件は、時間がかかり、当事者が多く、感情が交錯します。それでも、先代が遺した事業を、次にどう引き渡すかという問いに立ち会う仕事です。手続きの正確さと、人への配慮。この両方を持てる担当者だけが、相続案件を任されます。

そして、判断に迷ったら必ず専門家に相談してください。相続の領域は、仲介者の善意が最も危険に転じやすい場所です。

本稿は仲介実務の一般的な型を解説するものです。相続・税務・許認可の取扱いは、案件の内容や時期、所管する機関によって異なります。個別の判断は必ず弁護士・税理士等の専門家および所管の窓口にご確認ください。

よくあるご質問

A.株式の帰属が確定していない状態では、譲渡の意思決定そのものができません。共有状態の株式について権利を行使する者を定める手続きなどはありますが、いずれも弁護士の関与のもとで進める領域です。実務としては、相続人全員が同じ方向を向いているかを早く確認し、揃っていない場合は買い手探しに進まないことが、双方にとって誠実な対応です。
A.遺産分割の内容には関与しないでください。相続人間の話し合いは相続人と弁護士の領域であり、仲介者が調整役を担うと、後に誘導したと受け取られかねません。会社の譲渡に関する情報提供は公平に行い、一部の相続人にだけ情報を伝えることも避けてください。誰かの味方になった時点で、仲介者としての立場は失われます。
A.猶予されている税額の扱いに影響が生じ得るため、極めて慎重な確認が必要です。制度を利用しているという話を聞いた時点で、税理士への確認を最優先にしてください。特例承継計画の提出期限は2027年9月30日、適用期限は2027年12月31日とされていますが、個別の適用関係は必ず専門家の判断によります。仲介者が見立てを述べることは避けてください。

Work With Us

この「型」を、現場で一緒に磨きませんか。

プラチナパートナーズでは、案件の入口から成約・引き継ぎまでを一気通貫で担うアドバイザーを募集しています。M&A業界が初めての方も、実務の型から丁寧に教えます。
経営者の方のご相談は、無料相談フォーム(またはinfo@platinumpartners.jp)から承ります。

Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら