美容室・サロンのM&Aは、事業の形によって進め方がまったく異なります。法人として複数店舗を展開している会社の譲渡と、経営者様ご自身が個人事業として営まれている一店舗の承継とでは、使えるスキームも、買い手の顔ぶれも、必要な手続きも別物です。ところが、ご相談の場ではこの二つが同じ「サロンの売却」として語られることが多く、そこから話が噛み合わなくなることがあります。本稿では、まずこの分岐点をはっきりさせたうえで、それぞれの型に応じた実務の要点を整理します。
最初の分岐点|法人か、個人事業か
会社を譲渡する方法には、大きく分けて株式譲渡と事業譲渡があります。このうち株式譲渡は、株式会社などの法人の株式を売買する手法ですから、そもそも法人でなければ選べません。
法人でサロンを運営している場合
複数店舗を展開されている場合、多くは法人形態を採っておられます。この場合、株式譲渡が第一の選択肢になります。法人格が存続するため、店舗の賃貸借契約、従業員との雇用契約、取引先との取引、そして法人名義の各種届出は、原則としてそのまま引き継がれます。事業を止めずに経営権を移せるという点で、実務上の負担は最も軽くなります。
もっとも、店舗ごとに事情が異なり、「この店舗は譲渡したいが、あの店舗は手元に残したい」というご希望がある場合には、対象店舗のみを切り出す事業譲渡や、会社分割を組み合わせる方法が検討されます。
個人事業としてサロンを営んでいる場合
個人事業の場合、譲渡できる「株式」が存在しません。したがって、店舗の設備・内装・顧客との関係・従業員の雇用などを個別に移転する事業譲渡が基本になります。
事業譲渡では、譲渡の対象となる資産と契約を一つひとつ特定し、それぞれについて移転の手続きを踏む必要があります。店舗の賃貸借契約は賃借人が交代するため賃貸人の承諾が必要となり、従業員との雇用契約は譲受側との間で新たに締結し直すのが原則です。取引先との契約も同様です。手続きの手数は増えますが、譲渡人に紐づく債務を切り離しやすいという利点もあります。
なお、個人事業の譲渡では、譲渡対価に対する課税の考え方が法人の株式譲渡とは異なります。資産の種類ごとに所得区分が分かれるため、税負担の見通しは早めに税理士へご確認ください。スキームの一般的な比較は「株式譲渡と事業譲渡の違い」で解説しています。
美容業界でM&Aが増えている背景
美容室の店舗数は多く、地域によっては非常に細かい商圏の奪い合いになっています。その一方で、業界の担い手は個人・小規模事業者が中心であり、経営者の高齢化と後継者不在という課題は他業種と同様に進んでいます。
加えて、この業界に特有の事情があります。ひとつは、独立志向の強さです。技術者として腕を磨いたスタイリストが独立して自分の店を持つという流れは業界の伝統でもありますが、経営側から見れば、育てた人材が競合として独立していく構造でもあります。二つめは、人材採用の難しさです。美容師免許を持ちながら業界を離れる方も少なくなく、新規採用と定着の両面で各店が苦労しています。三つめは、集客チャネルの変化です。予約サイトやSNSの影響力が大きくなり、掲載費や運用の手間が固定的な負担として乗ってきています。
こうした環境のなかで、多店舗を展開する企業がさらに規模を求めて既存サロンを取得する動き、また異業種から美容領域へ参入する動きが見られます。一方、個人サロンについては、そこで働いていたスタイリストや、独立を目指す美容師が承継するという小規模な譲渡が現実的な選択肢として広がっています。国内のM&A件数はレコフデータの調べによれば2025年に5,000件を超え、2年連続で過去最多を更新したとされており、小規模な譲渡の裾野が広がっていることも、この流れを後押ししています。
買い手はサロンの何を見るのか
サロンの価値評価では、売上額よりも「その売上がどのように生まれているか」の中身が問われます。主な確認項目は次のとおりです。
| 評価される項目 | 買い手が確認する内容 |
|---|---|
| 再来率(リピート率) | 新規客がどれだけ二回目、三回目につながっているか。集客コストの効率を左右します。 |
| 顧客カルテの内容 | 来店周期、施術履歴、担当者の記録が整理されているか。引き継ぎの実効性に直結します。 |
| スタイリストの構成と定着 | 在籍年数、指名の分散状況、譲渡後の勤務継続の見込み。 |
| 売上の指名集中度 | 経営者様一人の指名に売上が偏っていないか。偏りが強いほど承継後の減収リスクが高まります。 |
| 店販比率と客単価 | 技術売上以外の収益源があるか。単価の推移と値上げの実績。 |
| 店舗の状態と契約 | 内装・設備の経過年数、修繕や更新の必要性、賃貸借契約の残存期間と条件。 |
この表のなかで、実務上いちばん議論になるのが「売上の指名集中度」です。経営者様がトップスタイリストとして店の売上の大半を担っておられるサロンは、収益性が高くても、その方が退けば売上が消えます。買い手はこれを織り込んで評価せざるを得ません。対策としては、譲渡後も一定期間は勤務を継続する取り決めを設けたうえで顧客を他のスタイリストへ引き継ぐ、といった方法が交渉のなかで検討されます。譲渡後の関与についてのご意向は、早い段階で固めておかれるとよいでしょう。
顧客カルテについても補足します。カルテは事業の中核資産ですが、同時に個人情報でもあります。譲渡に伴って顧客情報を移転する際には、個人情報保護法上の取り扱いに沿った対応が必要です。事業の承継に伴う移転についての取り扱いを含め、実務は個別の事情によって異なりますので、専門家に確認しながら進めることをお勧めします。
美容所の届出をめぐる手続き上の論点
美容業は、美容師法に基づく規制のもとにあります。美容の業を行う施設である美容所については、開設にあたって都道府県知事等への届出を行い、確認を受けたうえで開設するものとされています。また、施設ごとに管理美容師を置くことが求められる場合があるとされ、開設者や施設の内容に変更が生じた際の届出についても定めが置かれています。
M&Aとの関係で押さえておきたいのは、この「開設者」が誰かという点です。
株式譲渡の場合
法人が開設者である場合、株式譲渡では開設者である法人自体は変わりません。したがって、開設に関する届出をやり直す必要は一般に生じないと考えられています。ただし、代表者の変更など届出事項に変更が生じる場合には、所定の変更の届出が必要になるとされています。
事業譲渡・個人事業の承継の場合
事業譲渡では、施設を運営する主体が交代します。開設者が変わる以上、一般には譲渡人の側で廃止に関する届出を行い、譲受人の側で新たに開設の届出を行うという整理になるとされています。届出から施設の確認を経て営業を開始するまでの流れには一定の日数を要することがあり、店舗を閉めずに引き継ぐには、実行日と届出のスケジュールを丁寧にすり合わせる必要があります。
美容所の届出に関する手続き、必要書類、確認の運用は、自治体によって異なります。また、まつ毛エクステンションやネイル、エステティックなど、店舗で提供しているサービスの内容によって、適用される規制や必要な資格が変わる場合があります。実行にあたっては、必ず所管の保健所にご確認ください。
型別の進め方|多店舗企業の売却と、個人サロンの承継
多店舗展開企業を売却する場合
複数店舗を運営する法人の譲渡では、買い手は「組織として回っているか」を見ます。店舗ごとの損益、店長への権限委譲、採用と教育の仕組み、本部機能の有無。これらが整っているほど、経営者様への依存度が低いと判断され、評価が安定します。準備としては、次の点を整理されることをお勧めします。
- 店舗別の損益と、本部費用の配賦ルール
- スタイリスト別の売上構成と在籍年数の一覧
- 各店舗の賃貸借契約書(残存期間・更新条件・承諾条項の有無)
- 雇用契約書、就業規則、社会保険の加入状況
- 予約システム・顧客管理システムの契約内容と、データの取り出し可否
個人サロンを承継する場合
個人サロンの譲渡は、金額規模としては小さくなることが多いものの、進め方の丁寧さが求められる点では変わりません。買い手候補としては、そこで働いているスタッフ、独立を志す美容師、近隣で複数店を営む事業者などが挙げられます。
この規模の譲渡でとくに重要なのが、顧客の引き継ぎです。個人サロンでは、店ではなく「その人」に顧客がついていることがほとんどです。譲渡後も一定期間は経営者様が店に立ち、顧客に新しい担当者を紹介していくという移行期間を設けられるかどうかで、承継後の売上は大きく変わります。この点は価格の交渉にも直結するため、ご自身がどこまで関与できるかを、最初に明確にしておいてください。小規模な譲渡の進め方については「スモールM&Aとは」もご参照ください。
まとめ|顧客が通い、スタッフが残っている状態を保つ
美容室・サロンのM&Aは、法人か個人事業かという入口の違いによって、スキームも手続きも変わります。しかし、どちらの型であっても、価値の源泉は同じです。定期的に通ってくださる顧客と、そこで働き続けるスタッフ。この二つが保たれている限り、サロンには引き継ぐ価値があります。
逆に、スタッフが抜け、来店が減り、内装の傷みを直せなくなってからでは、譲渡の選択肢そのものが狭まります。閉店という結論を選ぶ前に、譲るという道があることを知っておいていただければと思います。
当社プラチナパートナーズは、成功報酬型のもと、美容・サービス業を含む中小企業の事業承継・会社売却をご支援しています。法人・個人事業のいずれの形態でも、まずは現状の整理からご相談を承ります。