本稿は、経営者の方ではなくM&A仲介の実務者、およびこれから仲介会社で働こうとしている方に向けた実務教材です。ヒアリングの技術というと「何を聞くか」の話になりがちですが、初回面談で実際に差がつくのは「今は聞かない」と決められるかどうかです。初回に必要な情報を全部埋めようとすると、相手は尋問を受けた気分になり、答えられない質問が続いた後ろめたさだけが残ります。結果として、二回目がない。本稿では、初回で踏み込まないほうがよい論点と、その深掘りをいつ、どう行うか、そして聞かないまま放置しないための宿題化の方法を整理します。聞く項目そのものの設計は「初回面談のヒアリング設計」を併せてお読みください。

なぜ「聞かない」設計が必要なのか

初回面談で相手が話せる内容は、こちらへの信頼の量で決まります。信頼が育つ前に核心へ踏み込むと、次の三つが起きます。

  • 不正確な答えが返る:はぐらかされた情報を前提に進めると、後の工程で必ず覆ります
  • 話す気が失せる:答えたくないことを二度聞かれると、その後の質問すべてに構えが生まれます
  • 目的を疑われる:この人は会社を値踏みしに来たのか、と受け取られます

逆に、初回で聞かなかった論点は、二回目以降に自然に出てきます。情報は信頼の後についてくるのであって、その逆ではありません。急いで聞いた情報より、後から本人の言葉で出てきた情報のほうが、はるかに正確です。

もう一つ、見落とされがちな理由があります。初回面談の時点では、こちらもまだ何が論点になるのかを知りません。事業の中身と業績の傾向を聞く前に細部へ踏み込むと、重要でない論点に時間を使い、肝心な話が最後の五分に押し込まれます。聞く範囲を絞るのは遠慮ではなく、限られた時間を正しく配分するための判断です。

初回で踏み込まない四つの論点

実務では、次の四つを初回の深掘り対象から外します。ただし完全に触れないのではなく、触れる範囲を決めるのがこの表の意味です。

論点初回で触れる範囲深掘りの時期
希望する譲渡価格価値の考え方(何を足し何を引くか)まで資料を拝見し、簡易算定をお示しした後
家族・親族の関係株主として関係する方がいるか、の事実確認まで株主の意向確認が必要になった段階
従業員の個別事情人数・体制の概要まで買い手候補が絞られ、処遇の議論に入る段階
過去の会計処理の詳細直近3期の売上・利益の傾向まで資料を読み、論点として浮上した段階

一番目を誤ると、後の全工程が壊れます。初回に希望額を言わせると、その数字が本人の中で基準になり、後から根拠のある評価を示しても「値切られた」と受け取られます。順番を守ることは、相手の期待値を守ることでもあります。

四番目については、初回で不用意に簿外の有無を尋ねると、相手は身構えます。決算数値の聞き方は「決算数値のヒアリング」で扱っています。

聞くなら、必ず理由を添える

踏み込む必要がある質問は、初回でも当然あります。そのときは、質問の前に三つを言います。

  1. なぜこれを伺うのか:「後の工程で必ず論点になるため、早めに把握しておきたい」
  2. どこまで、誰に伝わるのか:「社内でも案件に関与する担当者以外には共有しません」
  3. 今は答えなくてよい:「今日でなくて構いません。お手元で確認できてからで結構です」

三番目をきちんと言えるかどうかが、実務者としての分かれ目です。逃げ道を用意した質問のほうが、実は正確な答えが返ります。相手は「答えないと進まない」という圧から解放され、分からないことを分からないと言えるようになるからです。

秘密保持の説明の型は「初回面談で秘密保持をどう説明するか」に整理しています。

同じことを、答えやすい形に言い換える

聞く内容は変えずに、聞き方だけを変えると、答えやすさは大きく変わります。

踏み込みすぎる聞き方言い換え
いくらで売りたいですかご譲渡後、何にお使いになる想定がありますか。手取りの考え方からご説明します
個人保証はいくら残っていますか金融機関との関係で、ご譲渡にあたって気になっていることはありますか
親族とは揉めていませんか株主として関係される方は、ご本人以外にいらっしゃいますか
簿外債務はありますか決算書に表れていないもので、引き継ぐ方にお伝えしておきたいことはありますか

右の聞き方は、遠回しにしているのではありません。相手の関心の側から入っているのです。左は会社を調べる側の関心、右は経営者の関心です。同じ論点でも、入口を相手側に置けば、答えは自然に出てきます。

質問の組み立て方は「質問力を鍛える」でも扱っています。

聞かなかったことを、放置しない

「初回で聞かない」は「聞かなくてよい」ではありません。聞かなかった論点は、その場で可視化します。

  • その場で書き出して見せる:「次回までに確認したいこと」として箇条書きにし、相手にも見えるようにする
  • 時期を添える:いつの工程で必要になるかを書いておくと、相手も準備しやすくなります
  • 資料で代替できるものを分ける:口頭で聞かずとも、書類を拝見すれば分かるものは資料依頼に回します。依頼の順番は「資料依頼の出し方」を参照してください
  • 社内共有の記録には「未確認」と明記する:推測を事実として引き継ぐと、後で大きな手戻りになります

全部を聞き切れなかったことを隠すより、宿題として並べて見せるほうが誠実に映ります。そして実際に、初回で全部を聞き切った面談より、宿題を期限どおりに返した面談のほうが、案件は前に進みます。

新人のうちは、埋まっていないヒアリングシートを見ると不安になります。しかし評価されるべきは、埋めた項目の数ではなく、聞かなかった論点を把握し、いつ聞くかを決めているかどうかです。社内の面談報告も、この観点で読める形にしておいてください。埋まっていない欄に「第二回で確認」「資料受領後に確認」と書かれている報告は、空欄のまま放置された報告とはまったく違います。

本稿は仲介実務の一般的な型を解説するものであり、個別案件における税務・法務・労務の具体的な適用は、税理士・弁護士・社会保険労務士等の専門家にご確認ください。

よくあるご質問

A.価値の考え方(何を足し、何を引くか)と、ご譲渡後の手取りに影響する要素はその場でご説明します。金額そのものは、資料を拝見して簡易算定をお示ししてから、一緒に考えます。先に数字だけが決まると、後の議論が動かなくなるためです。
A.遮る必要はありません。ただしこちらから深掘りを重ねるのは控え、伺った内容は必ずその場で読み上げて確認します。勢いで話されたことが、後日『そこまでは言っていない』となることを防ぐためです。
A.出てきます。だからこそ、聞かなかった論点は『次回までに確認したいこと』として書き出し、社内の記録にも未確認と明記します。推測を事実として引き継がない運用にしておけば、遅れて出てきた論点にも対処できます。
A.60分から90分を目安にしています。長ければ丁寧というものではなく、聞く項目を絞ることのほうが大切です。残った論点は宿題として可視化し、次の接点で扱います。

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聞かない判断ができる人が、結局いちばん早く正確です。

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Author & Supervisor

執筆・監修:株式会社プラチナパートナーズ 取締役副社長 神垣 宏康

東京都千代田区(日比谷)のM&A仲介・事業承継アドバイザリーファーム、株式会社プラチナパートナーズ取締役。成功報酬型のもと、中小企業の事業承継・会社売却を初回相談から成約まで一気通貫で支援しています。役員紹介・会社概要はこちら