会社を譲渡しようと決めたとき、多くの経営者様が最初に気にされるのは「いくらになるのか」です。ところが実務では、価格の議論に入る前に、もう一段手前の作業が必要になることが少なくありません。いま会社が抱えている資産のうち、どれが事業に使われていて、どれが使われていないのかを仕分けするという作業です。
長く続いた会社ほど、事業とは直接関係のない資産が積み上がっています。使わなくなった土地、社長のご家族が乗っている車、先代が入会したゴルフ会員権、目的が曖昧なまま続いている保険の積立——どれも、経営の歴史のなかで自然に生まれてきたものです。これらは悪いものではありません。ただ、譲渡の場面では評価をわかりにくくする要因になります。本稿では、こうした資産をどう棚卸しし、どう扱いを決めていくかを、一般論として整理します。
なぜ「使っていない資産」が評価を曇らせるのか
買い手が会社を評価するとき、見ているのは大きく分けて二つです。ひとつはその事業が今後どれだけ稼ぐのか、もうひとつはいま会社が何を持っていて、何を負っているのかです。企業価値の考え方そのものは「会社はいくらで売れる?企業価値評価(バリュエーション)の3つの方法」で整理しています。
問題は、事業に使っていない資産が、この二つのどちらの物差しでもうまく測れないことにあります。稼ぐ力には貢献していないので収益の面からは説明できず、かといって会社の財産である以上、無視することもできない。結果として、買い手は次のような疑問を持つことになります。
- この土地は、事業を続けるうえで本当に必要なものなのか
- この資産は、いま売ったらいくらになるのか。帳簿の金額とどれだけ違うのか
- 買収後、この資産の管理や維持に、どれだけの手間と費用がかかるのか
- そもそも、なぜこれを会社が持っているのか
買い手にとって、答えのわからない資産はリスクの塊に見えます。そして人は、わからないものを高く評価しません。買い手が慎重になれば、その分だけ提示される条件は保守的になっていきます。逆にいえば、資産の性格が明快に説明できる会社は、それだけで議論が前に進みやすくなります。事業に使っていない資産の整理は、価格を吊り上げるための小細工ではなく、買い手が判断できる状態をつくるための作業なのです。
会社の値段を下げてしまう要因を横断的に整理した「会社の価値を下げる要因|売却前に直せるもの・直せないもの」も、あわせてご覧ください。
棚卸しの対象になる資産の種類
「事業に使っていない資産」といっても、実際には性格の異なるものが混ざっています。まずは、どのようなものが対象になるのかを俯瞰しておきましょう。
| 資産の種類 | よくある状況 | 買い手が気にすること |
|---|---|---|
| 使っていない不動産 | 閉鎖した工場、旧本社、貸している土地、先代が取得した山林 | いま売れるのか、維持費はいくらか、管理は誰がしているか |
| 車両 | ご家族が使用している車、稼働していない社用車・重機 | 事業に必要な台数か、誰が乗っているか、名義はどうなっているか |
| 会員権・出資 | ゴルフ会員権、リゾート会員権、取引先や団体への出資金 | 使っているのか、いくらで処分できるのか、年会費はいくらか |
| 保険・共済の積立 | 役員向けの保険、目的が曖昧なまま継続している積立 | 解約したらいくら戻るか、契約者・受取人は誰か |
| 有価証券・投資 | 持ち合い株式、投資信託、余資運用の商品 | 事業との関係があるか、評価の変動をどう見るか |
| 美術品・骨董 | 応接室や役員室に置かれている絵画・置物 | 帳簿価額と実際の価値が一致しているか |
| 眠っている在庫・設備 | 何年も動いていない機械、滞留している在庫 | 本当に価値があるのか、処分費用がかかるのか |
ここで大切なのは、「事業に使っているかどうか」は帳簿の科目では決まらないという点です。同じ「土地」という科目でも、工場が建っている土地と、何年も草を刈っているだけの土地とでは、譲渡の場面での意味がまったく違います。同じ「車両運搬具」でも、営業が毎日乗っている車と、ご子息が通学に使っている車では扱いが変わります。仕分けの基準は科目ではなく、実態です。
なお、不動産を保有する会社のM&A特有の論点は「不動産を持つ会社の売却|評価の考え方と切り離しの選択肢」で詳しく扱っています。保有する不動産の規模が大きい場合は、そちらもご参照ください。
二つの道|切り離すか、価格に反映させるか
仕分けが終わったら、次は扱いを決める段階です。大きく分けて、道は二つあります。
道1:譲渡の前に会社から切り離す
該当する資産を、譲渡の実行前に会社の外へ出しておく考え方です。たとえば、ご家族が使っている車や、事業とは無関係の会員権を、経営者様ご自身または資産管理のための法人が引き取る、といった形が想定されます。
この道を選ぶ理由は、主に次の三つです。第一に、買い手が「事業だけ」を評価しやすくなること。第二に、売り手側に思い入れのある資産を手元に残せること。第三に、買い手にとって扱いに困る資産を持ち込まずに済むことです。
一方で、この道には注意点があります。会社と個人(あるいは別法人)の間の取引になるため、いくらでやり取りするのかという価額の妥当性が問われます。安すぎても高すぎても課税上の論点になり得ますし、資産の種類によっては移転そのものに費用がかかります。また、切り離しの時期が譲渡の直前になるほど、買い手から「何をしたのか」を確認されることになります。この論点は税務の中心そのものであり、着手する前に必ず税理士にご相談ください。
道2:会社に残したまま、価格の議論に反映させる
もうひとつは、資産を会社に残したまま、その存在を価格の議論のなかで整理する考え方です。事業から生み出される価値とは別枠で、事業に使っていない資産の価値を評価に織り込む、という発想になります。純資産をベースにした考え方は「時価純資産とは|簿価との違いとM&A価格への反映のされ方」で解説しています。
この道が選ばれるのは、切り離しに実務上の障害がある場合や、買い手がその資産も含めて引き受ける意向を持っている場合です。たとえば、使っていない土地であっても、買い手にとっては将来の拠点として価値がある、ということは十分にあり得ます。売り手にとって不要な資産が、買い手にとっても不要とは限らないという点は、意外に見落とされがちです。
また、金額が大きくない資産についてまで一つひとつ切り離しを行うと、手間と費用のわりに効果が薄いこともあります。何を整理し、何をそのままにするかという線引きそのものが、判断の対象になります。
役員個人との貸借も資産の棚卸しの一部
資産の棚卸しを進めていくと、必ずといってよいほど出てくるのが、会社と役員個人との間のお金の貸し借りです。役員貸付金、役員借入金、あるいは経営者様が個人で所有する土地を会社が使っている、といった関係です。
これらは、厳密には「使っていない資産」ではありません。しかし、棚卸しの視点から見れば同じ系統の論点です。共通しているのは、会社と個人の境界が曖昧になっているという点だからです。
- 役員貸付金——買い手からは回収可能性が読みにくい資産に映ります。長期にわたって残高が動いていない場合はとくに注目されます
- 役員借入金——譲渡にあたって返済するのか、そのまま引き継ぐのかを決める必要があります
- 個人所有の不動産の貸与——賃貸借契約の有無、賃料の水準、譲渡後も継続するのかが論点になります
- 個人名義の資産の事業使用——車両や機械などを個人名義のまま事業で使っている場合、譲渡後の扱いを整理する必要があります
- 連帯保証——経営者保証の解除は譲渡の実務における重要な論点であり、金融機関との調整が必要です
これらの整理は、それ自体が独立した検討課題です。役員借入金の扱いについては「役員借入金・役員貸付金がある会社の売却|買い手はどう見るか、どう整理するか」で個別に解説していますので、該当する場合はそちらをご覧ください。本稿でお伝えしたいのは、資産の棚卸しをするなら、会社と個人の間の関係も同じ台帳の上に並べて見るべきだということです。別々に扱うと、整理の順序を誤ることがあります。
棚卸しの進め方|一覧表をつくるところから
実際の作業は、難しい分析から始まるわけではありません。一覧表をつくるところからです。決算書の貸借対照表と、固定資産台帳、保険の証券ファイル、車検証の束を並べ、次の項目を埋めていきます。
| 記入する項目 | 確認のポイント |
|---|---|
| 資産の名称・所在 | どこにある何なのか。現物を確認できるか |
| 取得の時期と経緯 | いつ、なぜ取得したものか。誰の判断だったか |
| 帳簿上の金額 | いまの帳簿価額はいくらか |
| 現在の使用状況 | 事業で使っているか、誰が使っているか、使っていないか |
| 維持にかかる費用 | 年会費、保険料、固定資産税、管理費などの年間負担 |
| 処分するとしたら | 売れるものか、引き取り手があるか、処分費用がかかるか |
| 名義と契約者 | 会社名義か個人名義か。保険なら契約者・受取人は誰か |
| 関連する書類 | 権利証、契約書、証券、台帳が手元にあるか |
この表を埋めていくと、いくつかのことが自然に見えてきます。「使っていないのに毎年費用が出ていく資産」「帳簿に載っているが現物が確認できない資産」「誰も経緯を説明できない資産」——こうしたものが浮かび上がってきたら、それが検討の出発点です。
そして重要なのは、この表は買い手に見せるための資料ではなく、まず売り手ご自身が現状を把握するための道具だということです。デューデリジェンスの局面で聞かれてから慌てて調べるのと、あらかじめ手元に整理されているのとでは、交渉の落ち着きがまったく違います。売却準備の全体像については「事業承継の準備はいつから?60代からの逆算スケジュールと進め方」もあわせてご参照ください。
やってはいけないこと・急いではいけないこと
最後に、この論点で注意していただきたいことを申し上げます。
1. 交渉が始まってからの駆け込みの整理
買い手が現れてから慌てて資産を動かすと、その動き自体が説明を求められる対象になります。デューデリジェンスでは直近の取引が丁寧に見られるため、直前の資産の移動は必ず目に留まります。整理そのものが悪いのではなく、説明できない整理が問題になるのです。売却直前に避けたい行動は「会社売却の直前にやってはいけないこと|価値と信頼を守る注意点」で整理しています。
2. 税務の確認を後回しにすること
資産を会社から個人へ移す、保険を解約する、含み損のある資産を処分する——いずれも税務上の取扱いが結果を大きく変えます。手続きを進めてから「こんなはずではなかった」となっても、多くの場合は取り返しがつきません。動かす前に、税理士に確認する。この順序だけは崩さないでください。
3. 見栄えのために数字を動かすこと
資産の整理は、決算書を美しく見せるための作業ではありません。実態と説明が一致していることに価値があります。実態を伴わない整理は、デューデリジェンスの過程でほぼ確実に明らかになり、そのときに失われるのは価格ではなく信頼です。
4. 一人で抱え込むこと
資産の棚卸しは、経営者様が長年積み上げてこられた判断の履歴を振り返る作業でもあります。先代の代からのものであれば、経緯そのものがわからないことも珍しくありません。わからないことは「わからない」と整理しておくこと自体が、誠実な準備です。
私どもは仲介者として、資産の一覧づくりのお手伝いから、どの論点をどの専門家に確認すべきかの整理まで、静かに伴走します。相談料・着手金・月額報酬はいただいておりません。まだ売却を決めていない段階でも、「うちのこの土地はどう見られるのだろうか」というご相談から承ります。